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2014/07/09

黒木 安馬さんから  世界の空から観た『人糞地理学』

黒木 安馬さんから  世界の空から観た『人糞地理学』

黒木 安馬さんから

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世界の空から観た『人糞地理学』

平安時代の豪壮な宮殿には便所がなかった!これは本当の話である。やんごとなく御方も女官女房たちも、実はそれぞれ「おまる」や「しびん」の携帯便器を持参していたのである。

オマルの語源は、天照大神が怒って天岩戸の隠れてしまう原因になった、荒くれ弟のスサノオノミコトが、神殿で、『糞マリ散ラシ』したと古事記にあるところから来ている。マリは排泄する意味。それにオをつけてオマル。

シビンは中国語が転訛したもので、瓶は同じ意味である。

フン張って力むから、気張る (*^_^*)v ~♪

江戸時代では、上流夫人が外出時の用便中の音を消すため、土瓶とこぶし大の土まんじゅうが必需品だったとか。土瓶はおしっこをする時上から水を注いで、土まんじゅうの方はうんちをする時に上から続けて落として音をごまかすための物であった。随分な量を出すものだなあ・・・と傍目に聞こえるのではないかと余計に心配になるがスピーカーから水音が流れて音消しをする発想は昔からあったのである。

京は花の都。都とは、天皇である「宮」が「処・ここ」にいる場所から来ている。花の頃になると嵐山や御室などは大勢の花見客でごった返す。出物腫れものところ嫌わずの例えの通り、途中で便所に行きたい者が出るのは当然のこと。当たり前とは言いながらも、これは困った問題である。そこで、八兵衛という小百姓が貸し雪隠ということを始めた。一度につき一文で、お客は後を絶たない。これを見た隣の男が、無理な工面をして上等な便所を作った。一度につき八文だと言う高額でお客は誰も入らず、女房はヒステリーを起してわめき出す始末。それでも亭主は泰然自若と待ち構える。翌日になって、その亭主が弁当持参で出かけたが、その後になって、お客が入れ替わり立ち替わりやってくる。女房はびっくりして応対に大わらわ。夕方になって帰ってきた亭主に訳を聞くと、「なに、大したことじゃない。今朝、うちを出てから八兵衛の雪隠に三文だして入り、内側からカギをかけて、人が戸を開けかかると、エヘンと咳払いしていただけだ。ああ、今日はぎょうさん咳払いしすぎて声が枯れてしまったわい」

これは『鳩翁道話(きゅうおうどうわ)』に出てくる話である。かなり臭い話であるが、これが実話だとすれば、当時はまだ公衆便所が完備していなかった証拠になろう。これを書いた江戸後期の学者、柴田鳩翁は、このたとえ話を引いて、小人凡夫の浅ましさを叱るだけで、しかるべき公衆便所を設けよとは書いていないところを見ると、幕府の厚生対策も、そこまではまだ回りかねていたようである。

共同便所は、古くは奈良・東大寺の僧坊にあった。また高野山の場合は下を川が流れる水洗式のものだったが、一部の高僧しか使えない限定的なものだったから公衆便所とは言えないだろう。京都や大坂では、道端に小便桶を置き、江戸でも醤油樽を埋めた辻便所、上野の山の辻雪隠が現れた。その糞尿を田畑の肥料として使うようなるのは、どうもこの江戸時代からのようである。

幕末の1853年、ペリーの黒船がやってきて、外国人が港街を歩くようになると、横浜の街辻には、立ち小便禁止の御触れが出た。その中に、外国人に対して恥ずかしいという意味の語句が残っている。1868年明治維新、『もしも草』新聞には、日本人が欧米に出かけて往来で立ち小便をして見回り警官に捕まり、5ドルもの罰金を取られたという警告の記事を載せている。1871年には、立ち小便をしたものは、100文の科料に処すと布告が出され、その後は神奈川県の町内会で共同便所を新設して、翌年の春までに83か所も出来ている。それは、四斗樽を埋めたものだったが、近代日本の公衆便所はここから始まったと思われる。

トイレ、お手洗い、ハバカリ、厠(かわや)、雪隠(せっちん)など様々の呼び方があるが、この雪隠は、道元が中国留学に、今のイェローハットの鍵山秀三郎さんのように、便所掃除で徳を磨いた雪隠高僧から学んだことから来ている。帰国して永平寺で有名な曹洞宗の禅寺『東司(とうず)』と言う便所を作った。

コロンブスが1492年にアメリカ新大陸発見でヨーロッパに持ち帰った病気、それはわずか5年ほどで日本にも感染が報告されることになる、恐ろしい梅毒。

トイレが感染原因だと、ベルサイユ宮殿などから便所がすべて撤去された。

それ以来今日でもトイレは無くなり、当時は適当な容器に大小で用を足し、窓から糞尿を投げ捨てた。

ヴェルサイユ宮殿では、当初トイレとして独立した部屋がなく、ルイ14世の時代には274個の椅子式便器があった。宮殿には常時4千人もの人が生活していたので、274個ではあまりに少なかった。そこで近くに便器がない時廷臣たちは、廊下や部屋の隅、庭の茂みで大小の用を足した。

鯨の骨でふくらませたドレス、貴婦人たちの傘のように開いたスカートは、このために考案された。清潔好きの者は、陶製の携帯用便器を使っていたそうだが、中身は従者が庭に捨ててしまっていた事に加え、宮殿内の便器の中身も庭に捨てていたため、ヴェルサイユ宮殿は、中庭や通路、回廊など紳士淑女の糞尿であふれ、ものすごい悪臭だった。

礼儀作法の意味の「エチケット」は、フランス語で「立て札」という意味。ルイ14世の時代、ヴェルサイユ宮殿であまりにも宮廷人たちが、手入れした庭に踏み入り木陰で用を足すので、庭師が「立入禁止」の札を立てたところから来ている。

当時の紳士淑女の服は月1回洗濯できれば良い方で、服にカビが生えているのは当たり前。お風呂やシャワーも全く利用しなかったため、体臭など臭いをごまかすため、香水を大量にふりかけていた。フランスだけじゃなく、ロンドンの町でもトイレがなく、アパートの窓から道路に糞尿を投げ捨てていた。17世紀のルイ14世もルーヴル宮殿が糞尿まみれになったため、クソ~!!と怒って、ヴェルサイユ宮殿に引っ越してきたのに、結果は同じに。

いやあ~、本当に怖いですね~! 臭いですね~! 屁クソシスト (*^_^*)v ~♪

とても不衛生な環境にあったため、何年かおきに深刻な伝染病が大流行した。

17世紀初めに作られたハイヒールは、汚物のぬかるみでドレスの裾を汚さないため考え出された、必要に迫られて生まれたもので、当時はカカトだけなく爪先の方も高くなって、中には全体が60cmの高さの物もあったと言う。

格好いい紳士の山高帽とマントは、実は頭上から降ってくる汚物をよけるために生まれた必需品なのである。

『芋の香水・屁の5番』など、ヨーロッパで香水が大いに発達したのは、こういう理由だったのだ。

西洋のビデに発想を得て、「ウォッシュレット便座」を発明する器用な日本人。

てっぺんに手洗い器がついた男性用小便器が昨年12月、エコプロダクツ大賞エコサービス部門の優秀賞を受賞した。西日本高速道路会社と衛生陶器大手TOTOの共同開発。手洗い水を便器の洗浄に再利用する節水機能が評価された。一般の小便器は洗浄に水1~2リットルを使うが、手洗いつきは15%ほど少ない。2012年11月から大分自動車道の山田サービスエリア(SA)、13年4月から名神高速の大津SAで導入。見た目の面白さもあり、ネットで「アイデアに感動した」と話題になった。西日本高速は、各地で手洗いつきを増やすとか。便器の更新時に検討する。「洗面台が減り、トイレをゆったりつくれるかも」

副操縦士がホノルルの夜に酔っぱらって我慢できずに暗闇の道端で、ジョ~~っと立ち小便。そこを運悪く、パトロールカーに目撃された。アメリカは罰金ぐらいでは済まない国だから、さあ大変!! 国籍や職業を問わず、有無を言わさず、そのまま豚箱へド~ン。

翌朝出発のジャンボ機は機長と副操縦士の二人乗務の大型機。お客も満席で、出発時間なのに、副操縦士が行方不明のまま。旅客機は、運航乗務員の機長一人だけでは飛べない規則。ついに欠航に。欠航を決行した結構な話どころか、世界中の笑い話にもならない、つい最近のお粗末なウンコ乗務員事件!?でした。

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