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2013年11月

2013/11/25

ガイアシンフォニー応援フォーラム 

ガイアシンフォニー応援フォーラム  24日 熱田神宮で行われました。
龍村 仁監督が来られて今回の八番を製作するのにお金が足りない。
みんなで映画を作るということで寄付をお願いしたいと話がありました。
http://gaiasymphony.com/2013/1124_161917.php

また現在1番から7番まではいつでもどこでも上映会が出来ます。
どんどん上映会を企画実行しましょう。

今回のイベントのメーンは宮城からお出でになった
畠山 重篤様 『森は海の恋人』 理事長 のお話でした。

1時間みっちりお話をいただきました。
なぜ森や川が大事かということをこんこんとお話されました。

内容はとても重いものでした。
お話のキーワードをたどりながらいろいろと考えさせられました。


キーワード
・森は海の恋人 は教科書に載って全国の子供達が勉強している
小学校五年生
中学校三年の国語の教科書
高校の英語の教科書

・世界の牡蠣の種は半分は宮城県から

京都大学 森 里 海 連関学 教授になった
 
・宮沢賢治賞 をもらった
もしも宮沢賢治が漁師だったら
  第四回 イートハーブ賞

・国連から表彰うけた。フォレストヒーロー
 世界で五人に選ばれた
 英訳した
  恋人をどう訳すか?
  皇后陛下にご相談した  ほんとの話らしい

・地球の三分の一は 鉄
植物光合成するためには 鉄が必要だ
 
・ 松村博士 北海道大
  キレートの話

ダム湖 フルボ酸がたくさん溜まっている


室根神社  室根山



瀬織律姫の神隠し 

http://www.ringyou.net/bbs/tanbou/k_tanbou07.html
海の汚れは川の汚れから
川の汚れは森の汚れから


結論
  人間の心の持ちようが一番大事

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「無電気の民にLED照明を提供」

友達の発明おじさんです。
興味のある方はどうぞ
「無電気の民にLED照明を提供」について、以下のように考えております。
低価格で「明かりを灯す支援」をなさる方にご提案です。

LEDランプ
LEDは蛍光灯のような制御機構を必要とせず、適当な抵抗を介し直流を流すだけで点灯する(電圧によっては抵抗も不要:例えば3V)。
世界には無電気の民が13億人居ると言われており、この民に灯火を進呈することは文明の入り口に立たせ児童の夜間勉学に寄与し、より豊かで平和な世界を実現できる。
なんと言っても重要なことは、安価で簡単に製造でき故障しにくいことである。
LEDさえあれば作製できるので「小学校の工作で造る」システムを構築できる。
家庭に鉛電池1個あれば家事や勉強用に複数個を点灯でき、低開発国には廃棄されたバイクや自動車の鉛蓄電池が沢山あるのでこれを流用できるし、経済的に余裕があれば新品の電池を購入使用すればよい。
電池の充電は、
・電力線のある場所に電池を運び充電する
・ソーラー発電で、集会場或いは各家庭にて充電する
・バイオマス発電(スターリングエンジン)で、集会場にて充電す
などで対応でき、熱帯地方では天気は悪いけれど樹木は繁茂するのでバイオマス発電が断然有利であり、接続は線を撚るかワニグチグリップで十分である。
・・・・・・
操作が下手で写真の添付もできません。
FBも停止しましたが、LEDランプには興味があります。

DC3Vで点灯する白色LEDを4個直列にすれば、分散或いは束にした照明具が
作製でき、秋葉原価格で¥410程度です。

ご連絡下されば、写真或いは現物でご説明できます。

宮本啓一 kei-m*s3.dion.ne.jp


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☆アートグリーン株式会社  代表取締役 田中 豊

夢企業探訪から   ポッドキャスト    http://www.radionikkei.jp/yume/

 

☆アートグリーン株式会社  代表取締役 田中 豊

http://www.artgreen.co.jp/

 

 

放送内容は

http://market.radionikkei.jp/podcasting/yume/2013/09/player-2013914.html

 

胡蝶蘭の栽培  販売

二人で起業した

諦めなかった

大企業へ回ったがなかなか相手にしてもらえなかった

 

★起業のきっかけ

子供のころから会社をつくろうと思っていた。

大学卒業してから3年間勤めてから独立した。

胡蝶蘭の会社はなさそうだからいけると思った。

 

★販売

大企業の子会社で商社をやっているところを通すようにした。

東京銀行のアドバイスから運がついた。

東京銀行の子会社の重役から言われた。

「うちにマージンをくれたら東京銀行へ売ってあげるよ。」

この成功事例をもとに他へも回った。

流通を抑えた。BツーC

全国に流通網を敷いた。

 

★仕入れ、生産   

台灣で育った苗を農家へ卸す。そこで育ったものを買い取って需要家へ販売する。

沖縄本島の会社とタイアップした。

はじめは代理店としてやった。

その会社が撤退することになり会社を引き受けることになりメーカーとなった。

全国300軒の農家と契約して栽培している。

 

★障害者の活用

三洋ハートエコロジー株式会社(重度障害者多数雇用事業所)

胡蝶蘭の栽培をやったらうまくいった。

2011年度グッドデザイン賞(主催:財団法人日本産業デザイン振興会)のビジネスモデルが受賞しました。

 

「化粧蘭」

胡蝶蘭に化粧を施したもの。高級品

★今後

EVI に参加  https://www.evic.jp/evi/top.jsp

エコビジネスに挑戦

日本の山と水と空気を守ろう

 

 

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2013/11/13

発酵仮面 小泉 武夫先生講演会 IN 名鉄トヨタホテル

発酵博士 小泉 武夫先生講演会 IN 名鉄トヨタホテル

 日時 2013年11月29日 金曜日
     午後1時30分から3時

◆ 会場  名鉄トヨタホテル 7階 孔雀の間

 http://www.toyota-hotel.co.jp/
         豊田市喜多町1丁目140
         GAZAビル
         0565-35-6611


 発酵仮面 小泉 武夫先生 
     「食と日本人の知恵」

 http://www.shoku-inochi.jp/hakkoubunka/hakkoubunka.html

◆ 入場無料  (120人くらい入れます)

    参加表明だけで結構です

主催者  健康を考える会
      高木 利誌様 
        高木特殊工業株式会社 会長
        個人でオールボランティアです。
 
みなさんたくさん聞きに来てください。
フェースブック以外ですでに60人くらい集まっています。
ーーーーーーーーーーーーーー
「味噌汁」
かつては「おふくろの味」といえば、味噌汁が筆頭で、味噌汁のにおいほど、家庭に平和を感じさせるものはなかったでしょう。味噌の持つ独特の香気成分が鰹節のほのかなにおいや、具材から出たにおいと相まって、家中が温かい、食欲をそそるにおいで満たされます。
味噌の香気成分はとても複雑。
その理由は第一に大豆という高たんぱく質を主原料に使うことにあります。第二は多量の米麹を加えるため、麹による複雑な分解作用が起こって多種多様な化合物が生成されること。第三に、発酵中には酵母と乳酸菌とが数カ月にわたって活躍するため、多くの発酵生産物が蓄積されることになるためです。
主な成分はカルボニル化合物、アルコール類、エステル類、揮発性有機酸類などで、それぞれが微妙なバランスで混ざり合って、あの独特の香気を構成しているのです。 
このにおいこそ、まさに日本人家庭の原点。
ご飯と並んで、日本の食文化の中心的な芳香なのですね。
さあ、今朝も幸せの香りに包まれて、「ああ、いただきます!」
参考文献:「くさいものにフタをしない」小泉武夫著 幻戯書房
発酵博士 小泉 武夫先生講演会 IN 名鉄トヨタホテル

◆ 日時 2013年11月29日 金曜日
     午後1時から4時

◆ 会場  名鉄トヨタホテル 7階 孔雀の間
         http://www.toyota-hotel.co.jp/
         豊田市喜多町1丁目140
         GAZAビル
         0565-35-6611


◆ 発酵博士 小泉 武夫先生 
     「食と日本人の知恵」
      http://www.shoku-inochi.jp/hakkoubunka/hakkoubunka.html

◆ 入場無料  (120人くらい入れます)

    参加表明だけで結構です

主催者  高木 利誌様 
        高木特殊工業株式会社 会長
        個人でオールボランティアです。
        
みなさんたくさん聞きに来てください。
あまり広報ができていないと思われますので。

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2013/11/04

青山 千春様 株式会社 独立総合研究所 「希望の現場、メタンハイドレート」

青山 千春様 株式会社 独立総合研究所

「希望の現場、メタンハイドレート」

 

 

お話と資料はこちらから

 

http://sdrv.ms/HsKGH7

 

岐阜大学フェアの記念講演会に行ってきました。

 

、彼女は大学入学後青山氏と結婚して徳島へ行った。12年間子育てに専念してこられました。その後大学に戻った。

さらに大学院にすすんで水産学博士号をとられました。

2005年に海底資源探査システムで特許取得されメタンハイドレート探査の最高権威者としてご活躍です。

ご主人は辛口評論で有名な青山繁晴氏でまさにオシドリ夫婦です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E5%B1%B1%E7%B9%81%E6%99%B4

 

、中学高校の先生の影響    地学が好きになったり

、アフリカのマダガスカル島と南極   同じ化石が出たのは昔おなじ陸地だったからだ

 

、南極に行きたい

そのための大学は?

防衛大学    女性は入れない

東京水産大学だけが入れた

、初めての女性学生

船に    風呂・トイレ      女性用がない   

1年間  それで辛抱した。

 

、1997年    ナホトカ号が日本海に沈没した。、、、、、、、、キーポイント

重油がたくさん漏れた。

それの調査を頼まれた。

帰り道に魚群探知機で海の中を見ていてメタンハイドレートを発見した。

海底から何かが吹き出していたが一緒に行った人たちは誰も興味を示さなかったので写真を撮ってそのまま長いこと持っていた。

 

、メタンハイドレート

体積の170倍に圧縮されている

、どこにあるか?

寒いところ

地震の多いところ

アメリカの太平洋沿岸

日本の周辺   メタンハイドレートだらけ

まだ調べてないだけ

100年分はあると思う

、太平洋側     深いところ    海底300~500m    政府がやっている

     日本海側    浅いところにある      太平洋側とは違うやり方をしないといけない

 

、魚群探知機でメタンハイドレートが見えるか?

、海底学者   今まで海底の下を調べていたのでわからなかったが魚群探知機ではよく見えるので

共同研究となった

異分野の人と共同研究することが如何にだいじなことか?

 

、海外の特許をどんどん取った

韓国や中国に取られる前に

竹島や尖閣の例から

魚群探知機を使っての特許をとった

 

、魚群探知機でメタンハイドレートを見つける方法は画期的なものだ

簡単、早い

 

、愛知県沖で2013年3月12日   メタンハイドレートから天然ガスの採取に成功した

世界初

なのに

マスコミ報道おかしい   のではないか?

産経     生産コスト低減など課題も

 

産経      メタンハイドレート生産試験打ち切り    機器不調

 

マイナス要素ばかり報道するのはおかしいではないか?

 

世界で初めて

愛知県沖で

失敗データがとれた

       いいことをなぜ言わない

 

、メタンハイドレートから天然ガスを取れる

日本が資源大国になれるかも

 

青山氏は日本海側に注目している

      政府は太平洋側をやってから日本海側をやる

      それでは中国や韓国にやられてしまうよ

      政府は日本海側に消極的すぎる

 

    韓国がやると言い出したので政府も重い腰をやっと上げてきた。

      韓国がやると言っている場所は日本の海域ではないのか?

    政府の関係者は政治的なことを一切言わない。

    韓国やロシア中国の関係者はみな国益を考えているのに日本の政府関係者はそういうことに一切言わない

 

  株式会社独立総合研究所  では政府があてにならないので地方自治体に直接アピールをしに行った

 

このことで経済産業省の態度が変わってきた

兵庫県新潟県和歌山県     調査船を持っている

 

日本海側の生産方式まだわかっていない

 

大変に夢のある元気の出るお話でした。

岐阜大学の大ヒットです。

 

 

 

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明日への言葉  やなせたかし(漫画家) 

やなせたかしさん、すばらしい!
(ある方の纏めたものをお借りします。)
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
明日への言葉
2013年10月29日火曜日

やなせたかし(漫画家)     やなせたかし、アンコール放送
絵本やアニメのアンパンマンの作者として知られる、やなせさん

は心不全のため今月13日に亡くなりました、94歳でした
この時間はやなせさんを偲んで、平成18年1月3日にラジオ深夜

便で放送したインタビューを再放送します
やなせさんは当時86歳です
ーーーーーーーーーーーー
朝から晩まで仕事をしている 午後は誰か来ているので、ここのところ仕事になりません
アンパンマンは58歳の時に書きだす
今もそんな歳の人が書いているのかと、吃驚するらしい
自然にストーリーが出てくる   全部人を助ける話
アンパンマンは私が兵隊に行っていて、上海の近くで、終戦を迎え
正義は逆転するんだと云う事、かならずしも正義は一定ではない
我々は正義の戦いだと言われて、中国の民衆を救わなくてはいけないと云って、戦ったが、終わってみれば悪いことばっかりやってい
飢えると云う事が一番つらかった

もし正義の味方だったら、何も怪獣をやっつけるとかではなく、先ず飢えている人を救うのが、正義の味方だと思った
阪神大震災とか起きたときに、先ず水と、パン、握り飯でもいいが、とりあえず命を助ける為には食べさせなくてはいけないので、アンパンが一番いいと思った
先ず飢えている人を救う、其れがアンパンマンの元になっている
ひもじい人を助ける、スーパーマンを作ろうと思うのは、その時からずーっと思っていた
最初はアンパンを配るおじさんだったが、自分の顔を食べさせるのが一番いいと思った
正義を行うと云う事になれば、どうしても自分が傷をつくと云う事を考えないとできない

最初、評判が悪くて、散々な評判だった
絵本を書くのはしばらくやめていたが、自分で編集やっていた本では、ずーっと続けてきた
正義は自己犠牲がないと出来ない
其れは自分の戦争体験と関わっている、戦争は一種の殺人なんです
戦争と言うもの自体がいけない
戦地では、不思議なんだけど、辛いはずなのに、その場にいるとそれほど辛くない
どんなところにいても或る種の面白さはある
紙芝居作って、農村を回ると、皆喜んで、村中から集まってくる(中国人に)
戦争は実際に弾を撃っている時間は非常に少ない、歩いているか、駐屯しているか
その時間の方がはるかに長いので、そこの民衆と付き合うようにな
模造紙一面に書いて、めくり式(箱などがあるわけではない)でやっていた
兵隊にはいろんな人がいる(写真家、監督、農家等いろいろ)ので、いろんなことが直ぐに出来る

学者になろうと思っていたが、中学校に行くと成績が悪くて、絵の成績が良くてデザインの方に行った(数学が全然判らなくなってしまった)
漫画は当時は多くなかった のらくろとか読んでいた
横山隆一さん(フクちゃんで有名)は10年先輩 遊び行くと、漫画家に興味を持った
製薬会社(銀座が好きで、銀座に近い会社に入った)、
東京高等工芸学校(現在、千葉大学の建築科にわずかにある)に入った
デザイナーになるのだったら、机にかじりついて勉強しても駄目、銀座に行きなさいと、先生から言われたので毎日、夜の12時過ぎまでいた
就職しても毎日、銀座に行きたかったので、田辺製薬に行った

九州の小倉部隊にゆき、大本営としては、敵は台湾を制圧するためには対岸の中国に渡るだろうと、そのために福州に行かされたが、こちらには来ないで沖縄に来たので、敵は来なかった
食料の倹約があったので、ひもじい思いをした
戦争から帰ってきて、郷里の高知新聞社に1年、(父親が新聞記者) 
雑誌を出す事になって、雑誌の編集部に回された、之が非常に良かった
雑誌の編集の仕方を全部覚えてしまった(絵も書くし、なんでもやった)
ここで結婚もする  父は32歳で亡くなった
父親の文章、絵も観ている(私よりも上手かった) 
父は講談社→中国語ができるので引き抜かれた朝日新聞→中国、ここで亡くなる
家にいないときに亡くなったので、実感はあまり無かった

今でも父親の残した絵、文章などを時々見る
辛い事も或る種の面白さはある
山に登るのには苦労するが、其れが面白いという事もある
父親がいたら、英語、中国語も得意なので、どこかに留学していたかもしれない
作家はもちろんだが、苦労しないと、血肉を削ってゆかないと、漫画家でも書けない
劣等生だったので、皆に判るように書ける
私は3流だと思っている   偉い人にはなりたくないと思っている  恐れる人にはなりたくない
私のアンパンマンのファンは1歳未満からいる  キャラクターは2200種類までになった 
最初はアンパンマン、ジャムおじさん、バタコさん、カレーパンマン、バイキンマンと止まらなくなった

子供はあまり子供っぽく扱われるのはいや 
3歳以下は難しいことも、優しいことも判らないが、だから自分の考えていることをぶつける
大きくなってから、大人になってから判ればいい

「そうだ嬉しいんだ 生きる喜び たとえ胸の傷が痛んでも、何のために生れて、何をして生きるのか、答えられないなんて、そんなのは嫌だ  今を生きる事で熱い心燃える
だから君は行くんだ  微笑んで そうだ嬉しいんだ 生きる喜び たとえ胸の傷が痛んでも
あー、アンパンマン 優しい君はいけ 皆の夢守り為」 
「何のために生れて、何をして生きるのか」 哲学の永遠の命題
子供に判るように、というのは間違い 難しいから子供向きではないと止めると云うのは間違い
そのまま難しいものをぶつけるべき

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2013/11/01

天 狗 の 山 の 夜 空 を 焦 が す      鞍 馬 の 火 祭 り 

川田 きし江様より

<東海歴史散策 107>  2013年 11月 1日号

天 狗 の 山 の 夜 空 を 焦 が す 

    鞍 馬 の 火 祭 り  
                 (京 都・鞍 馬)

 10月22日午後6時ごろ「サイレヤ、サイリョウ」(祭礼
や祭礼の意)「神事にまいらっしゃれ」という神事触れを合図
に、鞍馬の里の家々に篝火が焚かれる。ここは京都洛北。午後
9時頃には大きさ4m重さ100kgほどの松明が数百、由
岐神
社に集結し、火の粉を散らして燃え上がる松明。石段奥の注連
縄が切られて二基の御輿が下がる。御輿の後ろに鎧武者が乗り、
町の女が綱を引く。山門の石段で二人の青年が御輿の先の担い
棒の前で逆さ大の字になって下る勇壮なものである。

 940(天慶3)年、平安京の内裏に祀られている由岐明神
を都の北方の守護として世情不安を鎮めるために鞍馬に遷都さ
れた。鴨川にはえていた葦をかがり火として点灯。遷宮の行列
は1kmにも及んだ。鞍馬の住民がその出来事と由岐神社の霊験
を伝えるために始まったといわれ、1000年以上前から受け
継がれた世を鎮める火祭行事である。

「鞍馬天狗」の話は有名である。羽団扇を持って空を飛ぶとも
いわれ、漆黒の中で魑魅魍魎のたぐいと思われている。父を討
たれた牛若丸が母の常磐と逃げ延び、八歳のとき鞍馬山の寺に
預けられ,山に棲む大天狗をはじめ高雄、愛宕の天狗に武芸を
教わった。武蔵坊弁慶を打ち負かし,一番忠実な家来としてい
たことはよく知られている。

 上賀茂から丹波へ通じる鞍馬街道は鞍馬川沿いに開けた集落
で、たどり着くことは大変であった。

 天狗は古くから山岳信仰とかかわりがあり修験者が守護神と
していた。中世以降,山伏の堕落もあり、天狗を妖怪や魔物と
みなす風習が生まれた。鞍馬山の大天狗は僧正坊と呼ばれ、日
本各地の天狗たちの総元締めで、木の根道が続く奥の院の大杉
権現、不動堂、魔王殿のある僧正が谷は、天狗の総本山として
語り継がれている。

 火祭りが終ると,鞍馬周辺は秋が深まり、色とりどりの紅葉
を見る季節になっていく。
写真: 川田 きし江様より

<東海歴史散策 107>  2013年 11月 1日号

天 狗 の 山 の 夜 空 を 焦 が す 

    鞍 馬 の 火 祭 り  
                 (京 都・鞍 馬)

 10月22日午後6時ごろ「サイレヤ、サイリョウ」(祭礼
や祭礼の意)「神事にまいらっしゃれ」という神事触れを合図
に、鞍馬の里の家々に篝火が焚かれる。ここは京都洛北。午後
9時頃には大きさ4m重さ100kgほどの松明が数百、由 
岐神
社に集結し、火の粉を散らして燃え上がる松明。石段奥の注連
縄が切られて二基の御輿が下がる。御輿の後ろに鎧武者が乗り、
町の女が綱を引く。山門の石段で二人の青年が御輿の先の担い
棒の前で逆さ大の字になって下る勇壮なものである。

 940(天慶3)年、平安京の内裏に祀られている由岐明神
を都の北方の守護として世情不安を鎮めるために鞍馬に遷都さ
れた。鴨川にはえていた葦をかがり火として点灯。遷宮の行列
は1kmにも及んだ。鞍馬の住民がその出来事と由岐神社の霊験
を伝えるために始まったといわれ、1000年以上前から受け
継がれた世を鎮める火祭行事である。

「鞍馬天狗」の話は有名である。羽団扇を持って空を飛ぶとも
いわれ、漆黒の中で魑魅魍魎のたぐいと思われている。父を討
たれた牛若丸が母の常磐と逃げ延び、八歳のとき鞍馬山の寺に
預けられ,山に棲む大天狗をはじめ高雄、愛宕の天狗に武芸を
教わった。武蔵坊弁慶を打ち負かし,一番忠実な家来としてい
たことはよく知られている。

 上賀茂から丹波へ通じる鞍馬街道は鞍馬川沿いに開けた集落
で、たどり着くことは大変であった。

 天狗は古くから山岳信仰とかかわりがあり修験者が守護神と
していた。中世以降,山伏の堕落もあり、天狗を妖怪や魔物と
みなす風習が生まれた。鞍馬山の大天狗は僧正坊と呼ばれ、日
本各地の天狗たちの総元締めで、木の根道が続く奥の院の大杉
権現、不動堂、魔王殿のある僧正が谷は、天狗の総本山として
語り継がれている。

 火祭りが終ると,鞍馬周辺は秋が深まり、色とりどりの紅葉
を見る季節になっていく。

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明日への言葉  やなせ たかし さん

やなせたかしさん、すばらしい!
(ある方の纏めたものをお借りします。)
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
明日への言葉
2013年10月29日火曜日

やなせたかし(漫画家)     やなせたかし、アンコール放送
絵本やアニメのアンパンマンの作者として知られる、やなせさん

は心不全のため今月13日に亡くなりました、94歳でした
この時間はやなせさんを偲んで、平成18年1月3日にラジオ深夜

便で放送したインタビューを再放送します
やなせさんは当時86歳です
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朝から晩まで仕事をしている 午後は誰か来ているので、ここのところ仕事になりません
アンパンマンは58歳の時に書きだす
今もそんな歳の人が書いているのかと、吃驚するらしい
自然にストーリーが出てくる   全部人を助ける話
アンパンマンは私が兵隊に行っていて、上海の近くで、終戦を迎え
正義は逆転するんだと云う事、かならずしも正義は一定ではない
我々は正義の戦いだと言われて、中国の民衆を救わなくてはいけないと云って、戦ったが、終わってみれば悪いことばっかりやってい
飢えると云う事が一番つらかった

もし正義の味方だったら、何も怪獣をやっつけるとかではなく、先ず飢えている人を救うのが、正義の味方だと思った
阪神大震災とか起きたときに、先ず水と、パン、握り飯でもいいが、とりあえず命を助ける為には食べさせなくてはいけないので、アンパンが一番いいと思った
先ず飢えている人を救う、其れがアンパンマンの元になっている
ひもじい人を助ける、スーパーマンを作ろうと思うのは、その時からずーっと思っていた
最初はアンパンを配るおじさんだったが、自分の顔を食べさせるのが一番いいと思った
正義を行うと云う事になれば、どうしても自分が傷をつくと云う事を考えないとできない

最初、評判が悪くて、散々な評判だった
絵本を書くのはしばらくやめていたが、自分で編集やっていた本では、ずーっと続けてきた
正義は自己犠牲がないと出来ない
其れは自分の戦争体験と関わっている、戦争は一種の殺人なんです
戦争と言うもの自体がいけない
戦地では、不思議なんだけど、辛いはずなのに、その場にいるとそれほど辛くない
どんなところにいても或る種の面白さはある
紙芝居作って、農村を回ると、皆喜んで、村中から集まってくる(中国人に)
戦争は実際に弾を撃っている時間は非常に少ない、歩いているか、駐屯しているか
その時間の方がはるかに長いので、そこの民衆と付き合うようにな
模造紙一面に書いて、めくり式(箱などがあるわけではない)でやっていた
兵隊にはいろんな人がいる(写真家、監督、農家等いろいろ)ので、いろんなことが直ぐに出来る

学者になろうと思っていたが、中学校に行くと成績が悪くて、絵の成績が良くてデザインの方に行った(数学が全然判らなくなってしまった)
漫画は当時は多くなかった のらくろとか読んでいた
横山隆一さん(フクちゃんで有名)は10年先輩 遊び行くと、漫画家に興味を持った
製薬会社(銀座が好きで、銀座に近い会社に入った)、
東京高等工芸学校(現在、千葉大学の建築科にわずかにある)に入った
デザイナーになるのだったら、机にかじりついて勉強しても駄目、銀座に行きなさいと、先生から言われたので毎日、夜の12時過ぎまでいた
就職しても毎日、銀座に行きたかったので、田辺製薬に行った

九州の小倉部隊にゆき、大本営としては、敵は台湾を制圧するためには対岸の中国に渡るだろうと、そのために福州に行かされたが、こちらには来ないで沖縄に来たので、敵は来なかった
食料の倹約があったので、ひもじい思いをした
戦争から帰ってきて、郷里の高知新聞社に1年、(父親が新聞記者) 
雑誌を出す事になって、雑誌の編集部に回された、之が非常に良かった
雑誌の編集の仕方を全部覚えてしまった(絵も書くし、なんでもやった)
ここで結婚もする  父は32歳で亡くなった
父親の文章、絵も観ている(私よりも上手かった) 
父は講談社→中国語ができるので引き抜かれた朝日新聞→中国、ここで亡くなる
家にいないときに亡くなったので、実感はあまり無かった

今でも父親の残した絵、文章などを時々見る
辛い事も或る種の面白さはある
山に登るのには苦労するが、其れが面白いという事もある
父親がいたら、英語、中国語も得意なので、どこかに留学していたかもしれない
作家はもちろんだが、苦労しないと、血肉を削ってゆかないと、漫画家でも書けない
劣等生だったので、皆に判るように書ける
私は3流だと思っている   偉い人にはなりたくないと思っている  恐れる人にはなりたくない
私のアンパンマンのファンは1歳未満からいる  キャラクターは2200種類までになった 
最初はアンパンマン、ジャムおじさん、バタコさん、カレーパンマン、バイキンマンと止まらなくなった

子供はあまり子供っぽく扱われるのはいや 
3歳以下は難しいことも、優しいことも判らないが、だから自分の考えていることをぶつける
大きくなってから、大人になってから判ればいい

「そうだ嬉しいんだ 生きる喜び たとえ胸の傷が痛んでも、何のために生れて、何をして生きるのか、答えられないなんて、そんなのは嫌だ  今を生きる事で熱い心燃える
だから君は行くんだ  微笑んで そうだ嬉しいんだ 生きる喜び たとえ胸の傷が痛んでも
あー、アンパンマン 優しい君はいけ 皆の夢守り為」 
「何のために生れて、何をして生きるのか」 哲学の永遠の命題
子供に判るように、というのは間違い 難しいから子供向きではないと止めると云うのは間違い
そのまま難しいものをぶつけるべき

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