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2013/10/27

『太古日本の失われた真実の歴史探訪』   黒木 安馬さんから

『太古日本の失われた真実の歴史探訪』   黒木 安馬さんから

2013年10月6日 9:34

『太古日本の失われた真実の歴史探訪』   黒木 安馬さんのメールマガジンから

 

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「日本で一番高い山はどこか知っているかね?」「富士山ですよね!」「じゃあ、二番目に高い山は?」「ええと、あれっ・・・!!!?」

 

「金メダリストは誰でも知っているが、銀や銅では誰の記憶に残らない。金を引き立てるだけの、ただの飾りみたいなものだ。なんでも一番と二番では雲泥の差だ。ところで、剣山(つるぎさん)って聞いたことがあるかね、私はユダヤ系大富豪の友人を伴って毎年7月17日に家族で登っているのだが」SONY創業者の盛田昭夫社長は、隣に座っている奥さんも一緒に登っていると、機内で確かそう言った。

 

西日本最高峰は愛媛県の石鎚(いしづち)山が1982mで、同じ四国の徳島県にある剣山が27mの差で二番目であることを初めて聞いた。高松にある屋島の戦いで源氏に敗れた平家の幼い安徳天皇が逃げ落ちる際に、宝剣を納めたと言う伝説から名付けられたと言う。

 

それから数十年後、駆け出しの、無謀で全く無名のニート登山家、女に振られた腹いせに!!?? 世界7大陸最高峰を単独・無酸素で登りたいと夢を持つ青年を連れて、恐れ多くも霞が関の国土交通大臣へ直訴に出かけたり、北島三郎と引きあわせたり、HISの澤田秀雄社長やホンダ本社、サッポロビール本社、JAL本社で同期の取締役に合わせ、各社をスポンサー取りで、自分の予定をやりくりして全くのボランティアで連日回っていた。TV局の同級生たちを集めたり、大手新聞社や週刊誌記者に来てもらって取材させたり、今思えば、何で忙しい最中にこんなことをしていたのかと不思議に思うぐらい彼を連れて回っていた。その時、彼は自分自身の登山途中を撮影する特別な登り方をしていたから、これは極寒に耐えるVideoカメラでないと難しいかもと思った瞬間、SONYが頭をよぎったのである。

 

機内で会った、その子息であるSony-Music社長の盛田昌夫氏と久しぶりに会った時に、連れていったのが、その青年、栗城史多(くりきのぶかず)くんである。

 

その時にかつて機内で話題になった剣山の会話になった。「えっ、まだ行ったことがないの!?」との、盛田さんの反応に、これは行くしかない!と思い立ち、後日折りよく、徳島で講演依頼が来た時に、これ幸いと登山に挑戦することになった。日本三大秘境の一つ、大歩危(おおぼけ)という断崖絶壁の難所が連なる祖谷(いや)渓谷。吉野川の源流を目もくらむ眼下にして、カズラで造った重要文化財の吊り橋を渡り、延々と山道を進む。富士山頂に次ぐ標高の測候所があっただけに急峻な白い岩だらけの山である。

 

なぜ盛田さん一家が、わざわざここに?山頂にある山小屋の主人から話を聞いて更に謎が深まる。

 

イスラエル駐日大使も幾度も登って来ていると言う。

 

預言者モーゼが3300年前にエジプトからユダヤ人をイスラエルに脱出させる「出エジプト記(Exodus)」。シナイ山で神との契約「十戒」が刻まれた石板、マナの壷・アロンの杖とで三種の神器として知られる。その後、バビロン捕囚など数世紀にわたって放浪を余儀なくされる民族。映画『インディ・ジョーンズ』が探し求める石板を納めた“聖櫃(アーク)”、ユダヤの秘宝は紛失したままである。その失われたアークが剣山に隠されていると言うのである!

 

にわかには信じ難いが、聞くに、様々な話が続く。

 

7月17日はアララト山にノアの箱舟が漂着した日であり、剣山頂まで聖なるアークを担いで登った日、京都祇園祭の山鉾巡行も同日。祇園は“シオン”から来ており、二本の棒で担ぐ・金で覆われている・移動式の神殿など、神輿とアークは全く同じ構造。山鉾の絵柄も、バグダッド宮殿・ラクダ・ピラミッド・旧約聖書の物語など古代風景画を主にしており、掛け声の“エッサ”は古代ユダヤの“運ぶ”意味だとか。平和な都を意味するエルサレムは日本では平安京となり、書く・取る・住む・滅ぶ・祓う・拍手など同音同義語が、それにカタカナと同じ文字も驚くほど共通点が多いことを知る。それらは古代ユダヤ人が我が国までやって来た名残りに他ならないとか。

 

信じようとしない私に盛田さんは追い討ちをかける。国歌“君が代”は、グラバーの弟子であり、ユダヤのフリーメイソンであるイギリス人、ジョン・ウィリアム・フェントンが、明治3年に作曲したことさえ知らない日本人がほとんどだと。

 

山道で若いアメリカ人夫婦とすれ違った。新婚旅行だという。日本人ですら知らないこの田舎の山に、何故わざわざアメリカから? と聞くと、自分たちはイスラエル系アメリカ人だと言いながら、外国でイスラエル系の文献では、剣山は、どのガイドブックにも出てくる有名な霊峰なのだとか!

 

映画「極道の妻たち」や「木枯らし紋次郎」などの作品で知られる千葉県東金市出身の中島貞夫監督。ショーケン主役の“瀬降り物語”は、この四国地域の山間民族を扱った傑作である。私の勉強会【3%の会】の発起人もして頂いているので、せっかくだから、この高地の集落に住む村人たちを見たいものだと、寄り道をした。

 

何度も途中で道を聞きながら、どんどん、ぐんぐんと狭い山道を登り詰めた。ようやく人里離れた山あいの鬱蒼とした大木の森の中に、誰もいない、暗く古びた大きな神社があり、軒先に菊の紋章が鈍く光っていた。薄暗い森の中に目をやると、数組の石が転がっており、古びた立札の案内文が目に入った。

 

諸行無常、奢る平氏も久しからず・・・壇ノ浦で源氏に討たれて滅んだ平家。平清盛が妻、二位の尼に抱かれて関門海峡の海に沈んだとされる、当時8歳の「安徳天皇をここで荼毘にふした焼き場跡である」、と書いてあった。下関と徳島では地理的にも離れすぎているから、この説明のいわれには少々無理がありそうだが、平家物語の講談的な伝承と、事実の足跡はやはり違うのか、こちらの現場から押し寄せる氣の方が、より真実に近いような、鳥肌が立つぐらいの、どす黒い妖氣があたり一面を覆っている。私が書いた、長編の歴史サスペンス・ロマン小説である、平家伝説「小説・球磨川」では、当然、この祖谷(いや)渓谷で安徳天皇は死亡した説に基づいて物語が展開しているから、この場所は何が何でも確かめたかったのである。

 

義経から急襲を受けた一の谷の合戦で平家は敗退し、屋島でまた撃退され、その後、わざわざ遠くの下関まで、天皇の権利書である三種の神器、「八咫鏡(やたのかがみ)・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)・天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ・草薙剣)を携えて、その上、一族郎党を皆殺しにしてくれと言わんばかりに、清盛の娘であり、安徳天皇の母でもある建礼門院徳子もともなって一か所に参集すること自体が戦略的に考えても不可思議すぎるのである。どう考えても、囮(おとり)であるとしか考えられない。時の最高権力者である後白河法皇の孫であり、平家再興の切り札である安徳天皇まで死んでしまったら総ては終わり。安徳天皇の別働隊は、屋島の戦いの後で、ひそかに祖谷(いや)渓谷を越えて土佐の物部村へ向かっていたのである。だが、8歳の幼帝には過酷な山越えであり、とうとう途中で亡くなってしまった・・・そう考えるのが普通だろう。一万m上空から、四国・九州・本州を眺めながら、いつしかそう確信したものだった。

 

山を降りる道すがら、近くの民家に寄ってみる。村人たちが古代から毎日継承していると言う、火を絶やしてはいけない伝承、のことを聞いてみる。

 

モーゼに似た彫りの深い古老は何のためらいもなく応えた。旧約聖書・出エジプト記の第27章に書いてあります、と。

 

 

⇒ 訪日したアインシュタインの言葉

 

ユダヤ系ドイツ人のアルベルト・アインシュタインが1922年に来日した折、世界に向けて発信した言葉がある。

 

「世界の未来は進むだけ進み、その間、幾度か争いは繰り返されて最後の戦いに疲れる時が来る。その時、人類は真の平和を求めて世界の盟主を挙げねばならない。その世界の盟主たるものは武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を抜き越えた最も古く最も尊い家柄でなくてはならぬ。世界の文化はアジアに始まってアジアに帰る。それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。我々は神に感謝する。我々に日本という尊い国を作っておいてくれたことを。日のいずる国、日の本、日本」

 

昇る朝日に手を合わせて感謝する崇高で勤勉な国民性に強く心を打たれたと言われる。

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