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2012年11月

2012/11/29

初めての保津川下り

26日の雨の月曜日 友達と3人で初めての保津川下り 

体験してきました。 嵐山からJRで亀岡へ行き船に

乗りました。 本当は嵐山からトロッコ列車で行きたか

ったのですが切符は取れませんでした。 売り出し日に

行ったにもかかわらず。 すべて団体に抑えられている

ようです。 朝からの雨で売店のお姉さんはさかんにレ

インコートを勧められます。 雨に濡れますよ。寒いで

すよ。風邪を引きますよ。 私は自己判断で買いません

でしたが。 船には屋根がついていて雨はかかりません

が時々横から水が かかることがありました。 屋根のた

め見晴らしはいまいちですね。 船は1時間40分の長丁場

です。 途中から船頭さんが説明をしだしました。 この

川下りは400年もの歴史があるそうです。 3人の船頭さ

んで運行していましたがとても重労働でやや高い運賃

にも 納得です。 昔は帰りは船頭さんが船をロープで引

いて登ったそうです。 これはまた大変なことですね。

嵐山に着く手前で販売船が横にくっついてきました。

甘酒やみたらし団子 その他を販売するのです。 大勢

の客がみたらしを買いました。 私達も食べましたが小

型で甘くておいしいみたらしでした。 雨の保津川下り

も結構楽しめましたね。 船には20人くらい乗るのです

が私たちの船には女性が 2人しかいなくて船頭さんは面

白くない様子でした。 普通は7割が女性だそうです。

写真はこちらで

https://picasaweb.google.com/109698561622737313587/20121126

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2012/11/28

嵐山でモミジのライトアップを見る

嵐山でモミジのライトアップを見る
昔の仲間と三人で嵐山でモミジのライトアップを見てきました。
流石に素晴らしいもので来て良かったと心から思いました。
場所は食事場所からタクシーを呼んで行った宝厳院です。
ほんのワンメーターの距離です。
それが運転手には面白くなさそうです。
運転手いわく
「今頃行ったら人が多くて中に入れませんよ。
今頃は祇園のもみじが最高ですね。
それとここからタクシーで30分くらいかかりますが 西山というところが最高ですね。」
短い車中で以上のことを繰り返し話すのです。
そして嵐山でのモミジ見物を諦めて祇園へ行きましょう。矢の催促で私たちは気分をこわしました。
予定通りお寺の入り口で車を降りたのですが運転手が言っていたとおりで3列に並んだ客が100メートル以上続いていました。これでは中に入るのに1時間くらいかかりそうです。
私たちは門の外からも若干はライトアップが見えるので諦めて帰りかけました。
途中に公衆トイレがあったので二人は入りました。もう一人はタバコを吸ってくると言って行列の後ろの方へ歩いていきました。
トイレを終わって合流するとタバコを吸いに行った彼が今から入れるから行きましょうと言うではないですか?
手に入場券を持っています。
私はこれはダフ屋から買ったなと思いましたがいい話なので乗りました。
入り口では案の定すぐに入れました。
中へ入ったらそれはそれは素晴らしいの一語で表現のしようもないくらいの景色に圧倒されました。
後で彼から聞いたらチケットは700円でした。正規のチケットが600円ですから100円高いだけですがこのチケットには嵐山電鉄の200円の乗車券がついていましたので逆に100円安いことになります。
どういうことなんでしょうね。
写真は
https://picasaweb.google.com/109698561622737313587/2012112503
Img_2211

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2012/11/25

秋の中央線旧トンネルの開放デー

秋の中央線旧トンネルの開放デーに参加してきました。
聞きしに勝る人出でいつもは閑散とした定光寺のホームは人で
溢れかえっていました。
危ないくらいです。
思っていたのと様子が違いただ人を見るばかりであまり風情は
ありません。
進むうちにトンネルへ到着しました。
中は真っ暗で懐中電灯が役に立ちました。
足元を照らし前の人にぶつからないようにしないといけません。
足元はこぶし大の石でゴロゴロ とても歩きにくいです。
これはレールの下に敷いてあったもののようですね。
途中にものすごく大きなもみじの木がありました。
三四五(みよい)の大モミジ と看板にありました。
紅葉がきれいです。
休憩所やら売店も出ていて食事には困りません。
ただトイレが少なくて女性は大変でした。
男性には立ちションといれが用意されていてたすかりましたが。
Img_1649
Img_1655
Img_1743
その他の写真は
https://picasaweb.google.com/109698561622737313587/20121125

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2012/11/22

<東海歴史散策 96>眼 下 の う ね る 長 良 川  (岐阜県 長良川)

<東海歴史散策 96>  2012年 12月  1日号

川田 きし江様から

眼 下 の う ね る 長 良 川  (岐阜県 長良川)

 真っ暗な中天に、わずかな傾きをみせてたはめこまれていた
月のまわりが、ふいっとぼやけたように見えた。幾重にも重な
る遠い東の山ぎわの白い光は、いぶし銀の輪となって、四方の
山と空との間にはまり、ふと気がつくともう夜明けーーー。

 淡い光の中に浮かんでくる水面にはまだ波一つなく、流れに
突き出した中州の奥に目をやると、一列に並んだ屋形船が十数
隻、びっしりと張りつめた氷に影を落としているだけだった。

 長良川といえば鵜飼と有名だが,起源をとどれば、世界各地
にあった原始狩猟のひとつである。その代表は鵜飼と鷹狩であ
るが、今日の隆盛になったのは、織田信長が美濃の国に城を構
えたり、鵜匠に地位を与えて保護したからである。

 長良川を眼下に見下ろす金華山は、わずか海抜338M、だ
が実際に歩いて登ってみると想像もつかぬ急勾配な岩塊の積み
重なりである。天然の要塞。日本のほぼ中間にあり、鎌倉初期、
早くも稲葉城(岐阜城)が建てられた。美濃・尾張・三河を見
張る関所の館程度であった。

 東西と北を絶壁に囲まれ,南にだけ尾根の伸びた地形、樹木
が生い茂って外からの視界を絶つこの山に斎藤道三は砦を作っ
た。

 眼下にうねる長良の流れも、最初が銀色の一本の帯となって
光っていたのだが、遠い山並みの霞むころからねずみ色に変わ
り,やがて岸べの町並の灯を映して青づみ、それもやがては、
細い波の線を残して消えていった。

 天に光が残っている間は、遠い山並は、厚い壁となって,四
方からおしつつんでいたがやがてそれも闇にのまれると、あと
は眼下に町の灯の渦ーーー。ふりあおぐと、天守閣の真上にあ
たる空には,白い大粒の星が一つ、ひときわ輝きをましたよう
に思われた。

 長い長い年月の間に,幾たびとなく入れ替わったここの城主
ーーー、そのいずれもが、朝な夕なここに立ち、なにを思い、
なにを心に決めたのか。ある朝は希望に満ち、ある宵は悲しみ
にうちひしがれていたのかもしれない。
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2012/11/20

第20次東北支援

西島株式会社 西島 篤師様から
ーーーーーーーーーーーーーー
日頃お世話になっている皆樣方へ、西島篤師です。昨夜11時過ぎに第20次東北支援から戻りました。

今回は豊橋から4名の同行者と、宮城県の保育所2カ所、小学校8校、中学校5校、高校1校、そして石巻専修大学を1日でまわりました。

今回も義援金を国内、そして海外特にドイツから、被災校の子供たちに渡してくださいといただき、校長先生がたにお渡ししました。先生方も大変喜ばれていますので感謝とともにご報告します。

豊橋では次郎柿が全国の6割が生産され、その生産者の一人鈴木基泰さんが同行、73箱(1箱に約50個)の次郎柿を集めてくれ今回の被災校へのおみやげにしてくれました。これだけの個数を品質をおとさず集めるのは大変なことで心からお礼申し上げます。次郎柿は濃厚なうまみのあるおいしい、しかも栄養価の高い高級果物で、毎年喜ばれています(渡波保育所での写真貼付、子供たちの元気な声と笑顔に励まされます)。同行者の伊藤さん、広瀬さんもスポンサーになってくれました。心から御礼申し上げます。

また、同行者の本多まり子さん(華デザインスタジオ社長)が同行してくれ、宮城県石巻市の好文館高校では「クリスマスリース」を生徒や先生方に指導してくれました。本多さんは同業者から多大な材料提供を受け、大勢の支援者から支えられての事業でもあります。被災地の学校では、カウンセリングの先生が増えている現状で、子供たちの精神的な痛みは想像以上です。そういった中で本多さんのように生徒たちとの交流事業は大変よろこばれています。

被災地では、人口流出もおきており、結果として生徒の数も激減しているところが多いのです。それらの多くは統廃合が進められています。住んでいた町や村の歴史や文化がなくなっています。そういう中にあって、「震災以前に戻すのではなく、状況が変わった中で、小中一貫校など新しい学校、新しいまちづくりを進めていこう!」という雄勝町の取り組みもあります。前へ進んでいこうとする取り組みへ少しでも応援できればと思います。
 
目下、その応援の一つとして、シンガーソングライターの小川マキさんのCD「きずな」(1枚千円) と、宮城県石巻市立雄勝中学校の前校長の佐藤淳一先生が書いた「たくましく生きよ!」という本(1冊1,500円)を協力販売しています。お二人に共通しているのは「死」の局面から「生かされている」体験をもっていることです。小川さんは難病にも負けず明るくしっかり生きています。「きずな」というCD は東日本大震災後につくられたすばらしい歌で、歌詞とメロデイーがまた最高です。佐藤先生の本は、津波で破壊された雄勝中学校で77人の生徒が全員奇跡的に助かったあと、車のタイヤでつくった手づくり「輪(和)太鼓」で復興に向けて歩んだ1年間を綴った、涙なくしては読めない感動の本です。CD の売り上げは東北支援で、本の売り上げは佐藤先生の希望で「雄勝中学校に入った1年生の制服代」に使います。ご協力いただける方は声をかけていただければとおもいます。

次回第21次東北行きは12月14日(金)を予定しています。
 西島篤師
Photo

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月と季節の暦  2,013年版 

月と季節の暦  2,013年版  出来ました。

毎年楽しみにしている暦 カレンダーです。
旧暦ですから正月は2013年2月10日です。

今日から注文ができますよ。
1部  2300円

【ご予約の方法】

「月と季節の暦2013年版希望」と明記のうえ、
ファクス、Eメールのいずれかで

●郵便番号
●ご住所
●電話番号
●お名前
●ご注文部数
を下記「月と太陽の暦制作室」にお知らせください。
ファクス 03-5246-5589

Eメール tsuki@globe.ocn.ne.jp

(スパム防止のため、お手数ですが
 上記のメールアドレスを打ち込んでください)
上にもご案内のとおり、同封の郵便振替用紙にて代金をお支払いください。 

http://tsukigoyomi.jp/

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2012/11/19

第11回「名古屋醫新の会」

  • 第11回「名古屋醫新の会」が12月22日に行われます
    病気や健康に関心のある方、心配のある方は一度覗かれるといいと思います。
    主催の岡田 恒良様 なごやかクリニック院長はとてもおだやかな誠実な方です。

    ◆ 日時 2012年12月22日
           13時30分~16時30分

    ◆ 会場  ウインクあいち   12階


    ◆ 参加費  2000円  当日会場で



    ◆ 内容
      「素晴らしき世界に!」  
         勝田 秀樹氏  漢方養生指導家
       「病の仕組み~ストレスはどこから来るのか?~健康を取り     戻す3つの方法」
         岡田 恒良  なごやかクリニック院長

       「イマジネーション認識と夢分析~考え尽きて夢に答え       が・・・夢日記のすすめ」
         佐藤 俊夫  たいようクリニック院長




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月と季節の暦  2,013年版 出来ました

月と季節の暦  2,013年版  出来ました。

毎年楽しみにしている暦 カレンダーです。
旧暦ですから正月は2013年2月10日です。

今日から注文ができますよ。
1部  2300円

【ご予約の方法】

「月と季節の暦2013年版希望」と明記のうえ、
ファクス、Eメールのいずれかで

●郵便番号
●ご住所
●電話番号
●お名前
●ご注文部数
を下記「月と太陽の暦制作室」にお知らせください。
ファクス 03-5246-5589

Eメール tsuki@globe.ocn.ne.jp

(スパム防止のため、お手数ですが
 上記のメールアドレスを打ち込んでください)
上にもご案内のとおり、同封の郵便振替用紙にて代金をお支払いください。

http://tsukigoyomi.jp/

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2012/11/16

岐阜大学 環境フォーラム 講師 内山 節 氏

岐阜大学 環境フォーラムに参加してきました。
    「自然環境について考えるーー文明の災禍」
              講師  内山 節 氏  哲学者

感想   内山 節さんの話はとても奥深い話だったと思います。
じっくり考える必要がありますね。もう一度聞き直してみます。
とりあえず走り書きのメモです。
せっかくいい先生が来て下さったのに参加者が非常に少なかった
のが残念です。どうして大学生は聞かないのでしょうか?
授業時間中なのに、不思議です。

講演内容のメモ
、原発に不安を持ってない人は殆どいないのではないか?
、原発は遠くにあると思っていたが実は隣にあったのだということがわかった。
、東京ははじめは放射能多かったがすぐに低くなった。それは雨で流されてしまったからだ。
コンクリートのために海や処理場などに流れた。
奥多摩地区は結構まだ高い。
、群馬県日光   放射能低いところだが
天然キノコを食べていいのでしょうか?
イノシシの肉は大丈夫か?

放射能の高い地域
民宿が多い
天然のものを出すのがご馳走だったのに今はそれが出来ない。
キノコ   肉   山菜も禁止になっている。
困っている。

、自分も自宅(群馬県上野村)で少し椎茸を作っているが食べていいものかどうか
迷っている。
、ips細胞   手放しで喜んでいいのか?
ここまでやっていいのだろうか? 心配だ

、人を殺すことは誰でもやろうと思えば出来るのだが実際には誰もやってこなかった。

、東北被災地   二つの景色がある
1  まったく復興が進んでないところ
地盤沈下したところなど


2 よくここまで復興したなという地域
漁師   いち早く立ち上がった
            津波は自然現象
            津波の後は漁が良くなるという言い伝えがある
            津波の後3ヶ月くらいは生物が海から消えた
              その後怒涛のように魚がやって来た
地震で社会が壊れたが自然は壊れてない

、原発事故    一面我々が作った面もある。
       責任の一端は我々にもある。
       多少は自業自得である。
  しかし動植物も放射能を受けてしまった。
これは許されないことだ。誰がどう責任をとるのか?
、自然と人間の社会である
   人間   死んだ人間も含めて考えないといけない
  死んだ人間は生きていたところに留まっていると考えられている。
死者の魂は消え去らない
私の家にも仏壇があり、朝は仏壇に手を合わせたり挨拶したり
貰い物を供えたりしている。
、自然という言葉は日本語にはなかった。後で作った言葉です。

じねん    もとはじねんと言った。自ずからあるもの   自ずからの成り行き

理想     自ずからのままに生きること
             自ずからでない生き方    殺されてしまうことなど
                                     事故で死ぬことなど

、私は40年も群馬県上野村に住んでいる
    魚釣りが好きなので
、農業をやるということ
自ずからの姿で農業をやる

、私の本業は哲学の研究です
哲学は論理でものを考える学問
明治以降できた

昔は哲学はなかったという先生がいる
実はそんなことはない

現代哲学は東洋思想から学ぼうとしている
世阿弥    から哲学を学ぼうとしている
    ヨーロッパの哲学者は世阿弥の本を読んでいない人はいないだろうと言われる

能    観客と能役者  一体となってしまうこと

儒教    論理的  漢民族の思想

イスラム世界は東洋思想に近いかもしれない

東洋思想的な考え方から原発事故を考えてみよう

自然と共に生きる   どういうことか?
    都会の人間はどうしたらいいのか?

自然の許容量を越えない生き方
   原発は本当によいのか?

東京で亡くなった人   葬式やらずに直接火葬する人   10%ある
     全国では5%
     こお傾向が急増している
     お別れの儀式   考えを失ってしまったのか?


、東日本大震災
そこに住んでいなくても繋がりを感じる人がずいぶんたくさんいる
復興ビジネス   現地の人と外の人が一緒になって考える
意外なアイデアが生まれている
ソーシャルビジネスということだが 
     まずは経済が回ることが大事だ
     消費者も一緒になって考える
    コミュニティを作りながらやっていく

  東北で出来つつある

、毎週金曜日にやっている   脱原発デモ
   どこからともなく集まってきている
   昔のデモとはだいぶ違う
   60年安保とは違う

、上野村で自然エネルギーだけでやれないか?
マイクロ水力発電   急流過ぎて難しい
山の木 無尽蔵にある  ペレット化して燃料にし
さらに発電をしよう。
各戸に小さい発電所を作ろう。それを東京電力に売ろう。

、近年我々は発展してきたと思っていたがそうでは
なかったのではないかと思うようになった。


なお内山 節先生のお話はこちら

http://sdrv.ms/UHdyAp

Img_4532

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寺子屋はしま 第3回

寺子屋はしま  第3回に参加して

羽島市では若者が中心となって NPO法人羽島の未
来を築く会 というのを立ちあげています。
その行事の一環として「寺子屋はしま」という講座を3
回行いました。

昨夜はその3回目でした。
私は初めて参加しました。
講師は不破  洋様 で  羽島市歴史検証委員会  委員長
です。  1942年生まれ 不破医院の院長でもあり   
羽島市医師会長も歴任されました。趣味は  尺八  琴
ほか多趣味な方です。

内容
今回は羽島市南部の歴史や地名の由来、史跡などを
たくさんのスライドを使って説明していただきました。

*水害の歴史
お話を聞けば聞くほど羽島は水害の町なんだというこ
とがわかりました。
幸いにも私はまだ水害の体験はありません。
しかし明治以前は毎年と言っていいほど水害があった
ようです。
それを助けていただいたのが江戸時代の薩摩義士によ
る宝暦治水工事と明治になってからデ・レーケによる
三川分流の工事だったのです。
この両者には足を向けて寝るわけにはいきませんね。

http://homepage1.nifty.com/fuufuyuuyuu/sub20/tisui.htm

*大須観音   羽島市の南端 大須にある宝生院真福
寺が名古屋の大須観音の元なんです。
徳川 家康がここの国宝に目をつけて名古屋の大須に
移転させたのが現在の大須観音なんです。

http://www.gifu-np.co.jp/odekake/odekake.shtml?p=120518

*八神城
昔八神にお城があったそうです。
南北朝時代から毛利氏がいてその後明治までお城があ
ったとは。
今は石碑が1つ残っているだけですが。

http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/minoyagami.htm

その他にも各地の地名の云われをたくさんお聞きしま
した。
今まで長いこと住んでいながら地元の地名すらよく知
らないままでした。
こうしたことを若い人たちが始めたことはとてもいい
事だと思います。
若い人たちも知りたかったのですね。
先生がいらっしゃる間に今後も大いに続けていってほ
しいものです。

講演の録音はこちら

http://sdrv.ms/UHgtJm
 

Img_0960

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2012/11/14

山 間 地 帯 に 建 て ら れ た 客 家 人 の 住 ま い , 土 楼   

川田 きし江様から

10周年にふさわしい所を紹介したいと思い、福建省の客家土楼を取り 
上げてみました。
先人が作った建物は今も脈々と受け継がれ、ゆったりと時間が流れてい 
るように思えました。

<地球スケッチ紀行 120> 2012年 11月15日号
 山 間 地 帯 に 建 て ら れ た 
     客 家 人 の 住 ま い , 土 楼   

                 (福建省・中国)

 中国の東南沿岸にある福建省は,台湾海峡の西岸にあり、香
港・マカオと隣接し、山地や丘陵のある温暖で亜熱帯気候に属
し、海岸線は3000余キロに及ぶ。

 唐代末期の4C初、騎馬民族に圧迫され流浪して住む場所を
失った北方の難民が黄河中流域から住みつき、漢民族の末裔が
客家(はっか)独特の文化を形成し、福建省と広東省に住みつ
いた。その後世界各地にひろがっていった。福建籍の華僑は一
千万人を越え、台湾に住む同胞のうち80%の祖籍は福建出身
である。

 土楼は、泥を着き固めて作った建物で、外敵の襲撃から財産
を守るために築いた円楼を客家人が取り入れたのが始まりであ
る。

 土楼の形は、方形、円形、楕円形、五角形、半月形、八卦形
などがある。

 土楼は3~5階建て。高さは10M以上で、泥、炭.糖など
を混ぜ合わせ,骨組みには竹や気を使って建てられている。

 言い伝えによると,明の時代(1628~1644)に着工
し、清の時代(1709)年に完工したといわれる「承啓楼」
は、敷地面積5376平方M。直径73M。外壁の回りは19
15M、真ん中に粗堂があり、今も共同生活をしている。

 泥壁の厚さは1M以上で,何回もたたいたり,押したり,固
めたりして「外敵」や「外獣」の侵入を防ぐため,出入口を一
カ所にした強固な土壁で、2、3階にしか外窓がない。

 元朝中期(1308~1338)年に建てられた「裕昌楼」
は、「東倒西歪楼」とも呼ばれ、傾いているが、600年経っ
ているが今日に至っている。劉・羅・張・唐・范という五字の
人が共同で建てたもので、五階建て。一階は厨房,二階は倉庫、
三階以上を居室として使っている。二階から上は走馬廊という
木製の回廊がついていて、住居というより、小さな村といった
ところであった。
Unknown3_2


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2012/11/11

血圧に効く飲み物

血圧に効く飲み物  と誰かに言われて作っ
たものが我が家の台所にあります。
もう半年にもなるので飲み頃と思うのですが
見ると真っ黒でグロテスク
中に何が入っているのか?
自分で作ったはずなのに何を入れたのか
忘れてしまいました。
確か半年ぐらい前に誰かにこういうのを
作って飲めば高血圧は治るよ
と言われて作ったはずなのですが
誰に言われたのか何を入れたのか
すべて忘却の彼方で
物だけがこうして残っています。
家内は飲んでみたら と云いますが
何か不気味でまだ飲む決心がつきません。
こういうことを言いそうな友達に二三当たって
みたのですが誰も「知らないよ」と言います。
Img_4421_2

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手作り酵素

これは我が家で今作っている酵素ジュースです。



あと3日くらいで完成します。

春は梅

秋は野菜と果物 各種


野菜果物10キロと白砂糖 10キロで作ります。


1週間 毎日一回 私と家内が交代で手で

かき回します。

手についた細菌がいいのだそうです。

自分にあった酵素ジュースの出来上がりです。

これを毎日水で薄めて飲んでいると

血圧は正常になるはずですが


作り方はこちらを

http://kinseitedukuri.p1.bindsite.jp/


大垣の髙田たみ代さんが教えていただけます


https://www.facebtamiyo.takada?fref=tsImg_4423


ook.com/


今回は20種類くらい あれこれ入れました

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浅野 モオムさん 個展とパーティ

  •  

    11月23日 16時ころ会場へ

     



      5時から二胡ライブ 

      6時半~パーテイー{つちやホテル}3500円

     

          会場からバスで移動

    ◆ ぎゃらりーシラカワ   名古屋市中区栄2-11-11 

    カモメハンカチーフビル1F 

     

       プラネタリウム入り口より北へ 150歩。



    「旅する絵描き計画」名古屋

    ◆  パーティ会場

        ツチヤホテル

          
    ◆  申し込み   090-3405-6309  モオム

    1123

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2012/11/06

水鶏庵 (くいなあん)へ行ってきました

水鶏庵 (くいなあん)で食事を 友達の紹介で津島の水鶏庵 (くいなあん) というお蕎麦屋さんで 昼食をとりました。 ここでは大変に珍しい 江戸重箱 というお蕎麦があると聞いて それを注文いたしました。 四角い重箱にお蕎麦と各種のかやくが入っています。 それに麸田楽など3種類の添え物を選べるようになっていました。 お味のほうは格別かわっているということはありませんでしたね。 食事を終わってから連れの人が女将さんに「お庭を見せてください」 と声をかけて庭の方へいきました。 それはそれは立派なお庭と建物がいくつかありました。 なんでも昭和のはじめころに伊藤新左衞門と言う方が織物会社を 起こして大儲けをしそれで屋敷を次々と増築されたのだそうです。 その屋敷の一部が30年前から水鶏庵 (くいなあん)としてお蕎麦屋さん になっています。

 http://www.pref.aichi.jp/kyoiku/bunka/bunkazainavi/yukei/kenzoubutu/kunitouroku/1339.html

http://tabelog.com/aichi/A2302/A230202/23029708/dtlrvwlst/2317475/

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まだ現役で稼働中 豊田 佐吉の織機   まもなく百歳!

まだ現役で稼働中 豊田 佐吉の織機   まもなく百歳!

 

三重県津市の臼井織布株式会社に数十台が稼働中。

 

http://genki3.net/?p=3820

 

 

今月号のはんだ郷土史だよりに載っています。

他にも記事多数

 

はんだ郷土史だより  http://sdrv.ms/SQGbsy

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「おかえりやさいを見て味わうツアー」

岡山  朋子 様  豊橋技術科学大学 から
ーーーーーーーーーーーーーー

以下のように、この冬も「おかえりやさいを見て味わうツアー」を開催いたします。

おかえりやさいを、この機会に見学してホテルランチで味わっていただきたいと思います。

申し込みの締め切りは11月20日です。まだ十分間に合いますので、よろしければふるってご参加くだ

さいませ。

報道各社皆さま、取材も是非よろしくお願い申し上げます

●なごや循環型野菜「おかえりやさい」を見て味わうツア

日時 12月4日 9時半ー14時

内容 市役所集合

    生ごみ排出現場と「おかえりやさい」売り場の見学(スーパーマーケット等)

    畑の見学    堆肥化工場の見学

    ウエスティンナゴヤキャッスル:バックヤード見学とビュッフェでランチ

受講料 2600円(ビュッフェランチ代込み)

定員 15名(申し込み多数の場合は11月20日に抽選

申込先 名古屋市環境局資源化推進室(おかえりやさいプロジェクト事務局)おかえりやさいプロジ

ェクト担当

電話 052-972-2379 FAX 052-972-4133

<おかえりやさいとは>

おかえりやさいは、名古屋市内の学校給食やスーパー、ホテルなどから排出される生ごみを堆肥化

し、その堆肥を使って育てられた野菜です。名古屋市の生ごみの減量に役立っています。

おかえりやさいプロジェクト

豊橋技術科学大学

岡山 朋子

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 (*を @ にかえて)

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2012/11/04

「100年前の恩を忘れない遠い国の人々」

黒木 安馬さん 【3%の会】より

 

「100年前の恩を忘れない遠い国の人々」

 

「本州最南端の町、串本市の上空をただいま通過中です」、機長の機内アナウンスが天井のスピーカーから流れる。「市ではなく、串本町ですよ!」と、直ぐにコックピットに連絡を入れるが、時速千kmで1万m上空を飛行中、紀伊半島南端の黒潮に突き出している潮岬ははるか後方に、あっという間に小さくなっていく。

 

1985年と言う年は、私にとって様々なことがあった。2月に次男が誕生し、夏には自ら企画してタレントたちも口説いてきた、機内24席の座席を取り払ってステージを作り、総てのTV局やマスコミ総動員での、世界初の一万m上空・北島三郎機上コンサートを実現させて無事に着陸、なんと、その翌日には御巣鷹山にジャンボ機が墜落するという悲惨な大事故が発生した。

 

その同じ年の1985年3月17日、イランとイラクとの戦争がますます激しくなり、イラクのサダム・フセイン大統領は、イラン上空を飛行する航空機を48時間後には無差別に撃墜すると宣言。イランにまだ残って脱出の飛行機を待っていた在留日本人の216名は恐怖におののいた。

 

日本政府には平和憲法9条の壁があり、自衛隊機を海外派遣することができない。危険すぎるから飛ぶわけにはいかない!と一部左派の日航乗員組合の反対で、当時は唯一の国際線である頼みのJAL救援機も飛び立てないまま、地球上の世界時間はいたずらに流れるだけであった。

 

ところが絶望の空に、一機のトルコ航空機が突如、姿を現し、イラン首都のテヘラン・メーラバッド空港へ進入、機影を大きくしながら着陸してきた。ドアを開けるや、大急ぎでその飛行機は日本人全員を乗せて離陸し、なんと攻撃開始の1時間15分前! 映画みたいに危機一髪の脱出劇を成し遂げる。

 

我が国の救援機離陸がOKになり次第、すぐにでも乗務できるように、日本の空港でスタンバイしていた我々乗務員は、中東の隣国通しだから、そのような芸当ができたのだろうぐらいに、軽く考えていた。

 

ところが、それからはるか数年後に、表参道近くにある大使館に出かけてトルコ大使に会った時に、当時のいきさつを詳しく聞いて、驚いた。

 

120年前の明治23年、当時のトルコ・オスマン帝国から、11ヶ月以上もかけて、全長76mの木造製軍艦「エルトゥールル号」が国際親善の為はるばる日本にやってきた。明治天皇に謁見するなど3ヶ月の滞在後、横浜から9月14日に帰国の途に着いた。ところが、9月16日夜9時過ぎ、紀伊半島沖で台風の直撃を受けて疾風怒濤に翻弄される。木の葉のように流された船は、串本にある日本最古の石造の灯台が立つ、樫野埼の断崖下にある、魔の岩礁地帯と恐れられた「船甲羅」に激突して大破、灼熱の機関室エンジンが水をかぶって蒸気爆発、船は吹っ飛ぶ。

 

パシャ提督を始めとする656名の乗組員は、真っ暗闇の大波に呑み込まれて遭難。瀕死の重傷を負った乗員の一人が、風雨ににじむ灯台の光を頼りに岸壁をよじ登る。言葉は分からないが必死で助けを求めている異国人の尋常ではない姿を目にした村人は、緊急事態に気づく。

 

50軒ほどある樫野の村人たちは半鐘を鳴らし、暴風雨の中を、深夜の救助に立ち挙がる。

 

自分のフンドシを脱いで、それを帯がわりにして、波打ち際に打ち上げられた瀕死の負傷者たちを、すっ裸になって背負い、60mの絶壁を命がけでよじ登る---手足が滑ったら自分も真っ逆さまに奈落の底へ。その気が遠くなるほどの、危険で体力消耗限界の繰り返し。

 

火を焚いて負傷者を暖め、女房たちは裸になって、震える異邦人を素肌で抱いて温めた。貧しい寒村、なけなしの乏しい食料を持ち寄って、みんなで炊き出し、ふだんは誰も食べることのない非常時用の食用だが、大切な鶏を捕まえ、それを潰して、貴重な肉を食べさせ、言葉も通じないまま、懸命の治療を何日も続けた。そして、69名の、どこの国か分からない、知らない異国人たちの命は救われた。村人にとっては、瀕死の重傷で生死をさまよっている人たちを助けてあげることで精いっぱい、どこの国であろうと、そんなことは海に生きる人間として、どうでもよかった。

 

事故から20日後、日本海軍の「比叡」と「金剛」の二隻は、彼らを乗せ、村人たちが海底に潜って可能な限り回収した遺品の数々と全国から寄せられた義援金とともに、トルコへ送り届ける航海に出ることになる。

 

その義捐金は、24歳の若き山田寅次郎が、名文を新聞に投書して、決して豊かでもない、明日の暮らしにも困っているはずの日本国民を感動させ、全国から浄財を集めた。現在の金額にしてなんと一億円以上・・・。

 

『近い将来に日本と修好条約を結ぶべく、アジア大陸の西端よりはるばる1年もかけて来日して、よしみを結びながら、不運にも熊野灘の暴風雨に呑まれし心情を思えば、胸張り裂ける思いなり。同じアジアの民として、犠牲者たりし人々の心情、いかばかりなりや!』

 

トルコへ向かう我が国の軍艦には、「本日天気晴朗なれども浪高し」の日露戦争でバルチック艦隊攻撃時に打電された電文で有名になる、後の連合艦隊作戦参謀海軍中将、まだ兵学校を卒業したばかりの秋山真之(さねゆき)訓練生も乗船していた。司馬遼太郎「坂之上の雲」にも出てくるが、歴史的にはさらに有名な信号文、「皇国の興廃この一戦に在リ、各員一層奮励努力せよ」 も秋山の作である。この時の国を越えた貴重なトルコ航海体験が、後の秋山を大きな人間に育てたと言われている。

 

駐日トルコ大使は私に言った。「エルトゥールル号事故での献身的な日本人の救助活動は、今でも我が国では子供でも知っている伝説です。私も小学校の歴史教科書で学びました。日本ではなぜなのか理解できませんが、今の日本人が知らないだけですよ。だからこそあの時は、テヘランで困っている日本に今こそ恩返しをしようと、わが身の危険を顧みずに、トルコ航空機は飛んだのです」

 

何の歴史も知らない、いや戦後教育で何も知らされていない昨今の日本人、串本が、熊野が、南紀が・・・と、大した関心ごとで無いのかも知れない。だが・・・・・・・・・・・

 

熊野地域は、奈良に大和朝廷を開くべく、天照大神生誕の高千穂の秘境、九州日向(ひゅうが)国から、船に乗ってやって来た神武天皇が、最初に上陸したところである。その山深い未知の国、紀伊半島南端で大和への道案内役を果たしたのが、太陽に住んでいると神話で言われる3本足の八咫烏(やたがらす)。太陽の黒点は、そのヤタガラスそのものなのであり、3本足は、天・地・人を制すと言われる。

 

それが、日本サッカー協会・JFAが胸に着けているワッペン、シンボルになっている。鷲でも鳩でもなく、普通のカラスでもなく、太陽の中にすむ八咫烏(やたがらす)なのである。熊野が近代サッカーを我が国に紹介した中村覚之助の出身地だから、それに敬意を表しているのである。サッカーファンが、そんなことは、つゆ知らなくても全然問題はないだろう。

 

だが、神武天皇が熊野に上陸して、奈良に大和朝廷を開き、初代天皇に即位した日が2月11日であり、だからその日が日本の建国記念日になっている・・・、ということを知っている人が何人いるだろうか?学校の先生ですらもほとんど知らない人が多くて、講演会場で驚くことが多い。

 

日の丸、国旗掲揚には反対、君が代・国歌斉唱には起立しない・・・何でも反対しながらも、サッカーの国際試合では、ほっぺたに日の丸を描いて熱狂するヤカラ。

 

世界の空を30年間も廻ってみて、これほど自分の国の歴史を顧みない、少なからず、エルトゥールル号救済などの歴史事実だけでも、ちゃんと子供たちに、後世に教え伝えようともしない民族は、他には、まずいない。

 

「自国の文化歴史を否定した時、その国は必ずや滅ぶ運命にある!」古代メソポタミヤの言い伝えである。

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羽島市でイルミネーション

羽島市でイルミネーション

岐阜羽島駅近くの住民の方々がボランティアで イルミネーションのイベントをはじめました。 ささやかな町起こしの始まりです。 どうもご苦労さまです。 なかなか立派なものですね。
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揖斐川町 春日地区 寺本太鼓踊り

揖斐川町 春日地区 寺本太鼓踊り

8時間前に更新
揖斐川町春日地区の寺本 太鼓踊りを見てきました。 http://www1.town.ibigawa.lg.jp/kankoujyouhou/history/teramotodori.html このホームページを見て行く気になったのです。 しかしよく考えると場所がわかりません。 車に乗ってから揖斐川町寺本 と打っても出て来ません。 インターネットでグーグルの地図で検索しても出て来ません。 仕方なく揖斐川町役場へ電話をしました。 出てきた女性はわからにといいました。 なんということでしょう。 かなり待ってから女性はそこはたぶん春日地区だと思うので 春日の事務所に聞いてくださいと電話番号を教えて くれました。 春日の事務所に電話をしましたらそこは寺本の美束(みつか) という場所だと教えてくれました。 ここをカーナビに入れたらやっと出てきました。 時間は12時50分でした。
女性は踊りは1時から始まりますよ。 羽島から来られたら終わっているかもしれませんと つれない返事です。 それでも私は出かけました。 田舎の祭りが1時間くらいで終わるわけはないと思ったから です。 到着したのは2時でした。 踊りはこれからクライマックスになるという最高のときでした。
踊り子は5才くらいの子供から40代くらいの大人まで。 お囃子をしているのは村の長老とおぼしき80代の男性5,6人。 見ている人は遠くから来たと思われる大きなカメラを持った 老人男女20人くらい。 地元の見ている人は同じく20人くらいです。 屋台はまったく出ていません。 これほど地味なお祭りは見たことがありません。
踊りはとても華やかな着物を着て見応えがありました。
片隅で座って見ておられた宮司さんに聞きました。 宮司さんはどこのかたですか? 「私はここで生まれ育ったものです。 藤原と言います。私の祖先は奈良の春日大社の藤原釜足 です。ここは春日大社からきた神社です。談山神社が その発祥です。 だからここは春日村というのです。 とおっしゃいました。 春日村はご存知春日の局のゆかりの地として有名な ところですね。 帰りに
かすがモリモリ村リフレッシュ館」 に寄って温まってきました。
動画をアップしました.
v=KUbr3acczWA&feature=youtu.be
 
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