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2012/10/08

美濃源氏フォーラム  「本能寺の変、信長と光秀の真実」

講演会 「本能寺の変、信長と光秀の真実」
を岐阜市歴史博物館で聞いてきました。

  講師 明智 憲三郎様 明智 光秀子孫

美濃源氏フォーラム という会の行事として行われました。
 
  
講師の明智 憲三郎様はあの 明智 光秀の子孫ということで
  名前を隠すために明田  と名乗っていたが明治になってから明智と名乗った。
  1947年生まれ。慶應義塾大学ご卒業後三菱電機のコンピューター技術者をされてまして今年3月退職されたのをきっかけに個人事業主となり講演執筆活動をされてます。
    
  ご本はこれです。
 「本能寺の変、信長と光秀の真実」  2009年出版  明智 憲三郎 著
 

お聞きしたことを書きたいと思いましたが何分にも消化不良で
内容も驚くことが多くてうまく書けません。
本を読んでいただくか、明智さんのブログを見ていただくのが
いいかと思います。
また美濃源氏フォーラムでは各地で活発な活動をされています。
私は先ごろ石徹白で行われた越美セミナー・いとしろで白山長滝神社
の若宮宮司から美濃源氏フォーラムの井澤 康樹理事長様を
ご紹介いただいたのです。

明智 憲三郎様 のお話の要点は

 ・織田  信長は徳川 家康を本能寺で殺そうと思って
  明智 光秀に相談していた。
 ・それを聞いた明智 光秀は徳川 家康と組んで
  織田  信長を殺そうと思った。
 ・織田  信長は日本を統一した暁にはシナへ
  攻めこんでシナを日本のものとしようと思った。
  その上で日本は織田一族で支配しシナを家来たちに
  分け与えようと思っていた。
  
  というようなことでした。
  まだまだ研究は続くのではないでしょうか?
  
  

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