« 13人のグランマザー第8回国際会議 | トップページ | 宮崎の口蹄疫問題とEM »

2010/08/20

メルマガ DND

出口 俊一 (でぐち しゅんいち)さんという人がいます。
プロフィールを調べるとこう書いてあります。
まあ偉い人です。
元産経新聞の記者でそれから通産省へ出向なんかされてから現職になっておられます。
お友達というほど親しくはありませんが、えーさんなんて知らないよとは言われないと思います。

プロフィール :(株)デジタルニューディール研究所代表取締役社長(財)ベンチャーエンタープライズセンターDND事務局長国立大学法人 東京農工大学大学院 技術経営研究科 客員教授 

この出口さんから毎週水曜日の夜届けられるのが「DNDメルマガ」です。
出口さんのコメントに私はいつも「同感である」を連発しています。

今週号の冒頭部分だけ記載します。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 DNDメディア局の出口です。感動の余韻がいまだ覚めやらぬ小惑星探査機「はやぶさ」物語。関連の出版の売れ行きも好調らしくセミナー会場やプラネタリュームも大入りの盛況ぶりです。

 無事に戻ったカプセルや耐熱カバーなどの一般公開はご存じの人気で、神奈川県の相模原市立博物館、筑波宇宙センターに続いてこの15日からは東京・丸の内オアゾで公開(午前8時―午後8時、19日まで)されます。この目で、あの"へその緒"を見ながら、未踏の宇宙小惑星の旅、それを支える技術と職人、それらの歴史的系譜に思いを馳せてみるのも一考です。お盆と夏休みが重なってここでも行列ができるのでしょうね。

 「はやぶさ」本体機は、大気圏の再突入時に火花を散らして燃え尽きたが、その時の温度が1万度とも2万度ともいうのですから、いくら耐熱のカプセルとはいえ、その空前絶後の灼熱の中をどう突きぬけるか、そこが最後の試練だったわけですね。60億キロ、7年の長旅から戻って無事にカプセルを回収し、その中に小惑星「イトカワ」の砂が入っているかどうか、その分析よっては宇宙誕生の謎を解くという。奇跡的なドラマを演じたカプセルにまるわる開発や製造秘話、表面の温度を3000度程度まで保つ耐熱シートのメカニズムなどに自ず
と興味が惹かれます。プラネタリュームで上映される「はやぶさ」物語は、漆黒の宇宙を航行しながら困難に挑む「はぶさの」姿にみんな目を赤くはらして応援するらしい。やっぱりこれは神業としか、言いようがない。

 「はやぶさ」の開発の系譜を辿っていくと、偶然、同じ名前の戦闘機「隼」を量産した中島飛行機に行きつく。昭和12年当時、糸川という名前のエンジニアが、中島飛行機の研究課空力班に所属し「隼」の設計に携わっていた。

 「隼」は、戦闘機の中でもゼロ戦と並んで性能に優れた小型の名機とされ中島飛行場で5700機ほど生産されました。先の大戦で活躍したという記録があります。その糸川氏は、小惑星「イトカワ」の命名で一躍有名になった「宇宙開発の父」の糸川英夫博士でした。

 この辺の経緯は、ネットのウイキペディアに詳しいので省略します。私には驚きの発見でしたが、すでに周知の事実でことさら騒ぎ立てる話じゃないかもしれません。小惑星探査機「はやぶさ」と戦闘機「隼」に糸川つながりがあるなら、「はやぶさ」の命名もそこからきているのか、と思えばどうもそうじゃないらしい。

 宇宙航空研究開発機構ホームページから、プロジェクトマネージャーの川口淳一郎教授のコメントを引用します。

 「はやぶさ」は,それ(アトム)に対抗して?上杉先生と私が旗を振って出した案です。MUSES-C 探査機の試料採取は、1秒ほどの間に着地と離陸を行って(Touch and Go) 実施されるものだったので、その獲物を捕獲する様子から、「はやぶさ」とあてた案でした。(略)もちろん,その昔,東京-西鹿児島を走った「特急はやぶさ」とか、鹿児島県の地名であり「隼人」にもちなんだ面もあります。漢字で書くと、「はやぶさ(隼)」という字は、下にサンプラホーンが伸びていて、上にハイゲインアンテナがあり、ちょっと上下の位置は違うものの太陽電池も横に張り出していて、漢字1字をみても大変探査機らし
い名だと、私は感じています。

<はやぶさの命名>
http://www.jspec.jaxa.jp/activity/hayabusa.html
~満身創痍の状態で帰還した小惑星探査機「はやぶさ」。太陽系の謎を解き明かすかもしれないカプセルを開発したのは、衝撃的なリストラに直面した技術者たちだった~。と、くれば、これはNHKのかつての国民的人気番組『プロジェクトX』のナレーションを思い出します。今週発売の『アエラ』の特集記事のリード、いわば記事の書き出しです。大きな見出しで、『「はやぶさ」支えた日産リストラ組』‐とありました。

 いまなお、多くの人々に勇気と希望を与えている「はやぶさ物語」。が、その裏で「実は…」というアエラの取材の狙いはエンジニアの苦闘に突っ込んでいるのです。これまで明らかにされていない開発や製造現場からのアプローチです。どうやら取材のガードが堅いのか、あんまりインサイダー的な記事にはお目にかかれませんでした。が、そこを「アエラ」が突破したようです。

 突然のリストラと会社の身売り、限られた予算の中で迅速な決断が迫られながら、カプセルの表面を高温から守るヒートシールドの開発という"未踏の実験"は、失敗の連続だったという現場の苦労話を紹介し、特命を受けた5人の開発メンバーの数奇な運命をなぞる。アエラを読んで一般公開の会場に足を運ぶと、より深い感動が得られることでしょう。お子さんらをお連れすれば、父親の復権のいいチャンスになるかも。

 記事は、元日産の社員で現在IHIエアロスペースの技術者(53)をメインに取り上げていました。東京農工大学大学院で宇宙力学を専攻し、2000年までは日産の宇宙航空事業部に所属していた。「はやぶさ」のカプセルの開発は97年にスタートし、その間に、リストラや会社の身売りという試練があった、という。秒速12キロの猛スピードで大気圏に突入する時、カプセルは1万~2万度の空気に包まれる。カプセルの中に入った貴重な試料を焼き散らさないための「帰還時の耐熱」をどうするか、が課題でカプセルの表面を最高3000度、カプセル内の温度を40度近くに保つ必要があった、とアエラは伝えていました。またモノづくりの現場は、家族経営の町工場が下支えしていた、という記述も好感が持てました。このカプセルの開発に至る所属企業の戦前戦後の推移は、これまた変転極まりない系譜を辿ります。

 日産の大リストラは、あのカルロス・ゴーン氏が仏ルノーから執行役員として乗り込んできてから行われ、1999年の秋、3工場を閉鎖、2万1000人のリストラが断行された。日産の宇宙航空事業部は、IHIが事業部ごと買い取り、社員全員が新会社に移った。それが、IHIの小会社、IHIエアロスペースでした。群馬県富岡にあった拠点も、そのままIHIに引き継がれた。そして、日産の宇宙航空事業部は、「技術の日産」の象徴する部門として知られていた、と「アエラ」は着目し、戦前の陸軍の名戦闘機「隼」(はやぶさ)を開発した中島飛行機にそのルーツを持ち、戦後は、「富士産業」、「富士精密工業」、「プリン
ス自動車工業」を経て1966年の吸収合併により日産の宇宙航空事業部へと受け継がれていった、とある。

 原点は、群馬県太田市にあった中島飛行機でした。海軍の将校の中島知久平氏が創業し、1917年から50年まで続いた。戦後になって飛行機の製造は停止されたが、その間、先輩から後輩へ伝授された飛行機の開発・設計・製造に関する技術は、その多くが地元周辺に残ったという。まあ、実はこの辺で、この戦闘機「隼」と小惑星探査機の「はやぶさ」に何か、関係があるのではないか、と私のアンテナが反応したわけです。

 小惑星「はやぶさ」の帰還のニュースをある種の感慨を持ってみていた経営者がいました。先代が中島飛行機に関係していた、という「清田アルマイト」
(足利市借宿http://www.seida.co.jp/company/)の2代目経営者、清田明さんでした。

 「あのカプセルの表面が無傷で新品同様だったでしょう。高耐熱の製造技術は、地元の企業が手掛けたのですね。やはり宇宙科学といってもその技術を底辺で支えているのは小さな町工場なんだ、と大変勇気づけられましたね」という。

 清田さんの先代、故・清田儀一氏は、戦前、太平洋戦争末期に近衛兵を退役し中島飛行機に勤務した。ジュラルミンなどアルミ合金製の機体製造には、アルマイト処理(陽極酸化処理)の技術が不可欠で、儀一氏はその処理技術者の一人者となっていました。戦後は、理研アルマイト桐生工場へ移籍、機体接続に用いるリベットなど航空機部品全般のアルマイト処理技術を取得し、昭和31年に「清田アルマイト」を創業、今年で55年目。これまで曲折はあったが、持前の熱心さと誠実な経営姿勢が信用を得て、高級車向けなどの高耐食のアルマイト皮膜技術で高い業績を維持しています。

 清田さんは、知人がIHIエアロスペースで耐熱に関する品質管理に携わっていたことを思い出し、すぐに連絡を取って成功をお祝いするメールを送ったという。メールは届かなかったらしく返事はなかった、という。60で定年を迎え
ると、その後、高度な技術を持ったエンジニアは、どこへいくのか、離職したエンジニアが海外に流出してしまう恐れはないのだろうか、と彼らの"頭脳流出"を心配する。

 その一方で、こんな悩みもある。清田さんは大学を卒業後、商社マンになり香港駐在を最後に28歳の時に帰郷し、家業を継いだ。長男としての責任で果たした。それから30数年、現在はだ3代目候補も健在で、これまでオンリーワンの技術を磨いてきたお陰で安定した経営を維持している。が、科学や産業政策を現場からサポートする中小の製造業は、世界のマーケットがグローバル化し、中国やインドなどの新興国が大きな市場を形成し始めると、その進む方向をどっちにとるか、グローバルな市場にシフトすべきか、あくまで国内で極めた技
術を武器に売り上げを確保するか、いま胸突き八丁という。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー引用ここまで

ほんのちょっとだけのつもりでしたが、面白くて途中で切れませんでした。
はやぶさのことを全部載せました。メルマガはもっともっと長いのです。
出口さんはこんなにながーいメルマガを一人で何年も毎週毎週続けておられます。
これだけでも大仕事ですよね。
感心するとともに尊敬いたしております。

もっと読みたい方は
メルマガ  dndmail@dndi.jp    まで申し込んでください。
                         もちろん無料です。

ホームページ 

http://dndi.jp/mailmaga/bn.html

 http://dndi.jp/

でご覧ください。

|

« 13人のグランマザー第8回国際会議 | トップページ | 宮崎の口蹄疫問題とEM »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 13人のグランマザー第8回国際会議 | トップページ | 宮崎の口蹄疫問題とEM »