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2010/05/23

長篠の戦いのその後 

愛知淑徳大学の真田 幸光教授 からこんなことを教えていただきました。
戦国時代の有名な戦い 長篠の戦いのその後の話しです。


真田 幸光様からのメールでこう書いてあります。

「1575年の 長篠の戦 は、歴史の中でも有名であり、ご存知の通り、織田信長の新戦法が功を奏し、最強騎馬隊を擁する武田の軍勢でも敗退した。(そして、私の祖先も武田の武将としてこの戦いに参加、この長篠で当時の真田家長男、次男が戦死しました。そして、この結果、三男であった、また、真田信之、幸村の父である 真田昌幸 が真田の家督を継ぎました。)
 この戦いは、正に時代の流れの中で起こった戦であり、また時代の変化の時でもあったのであろう。
 ところで、この時代まで、古来、日本の武士の戦いでは、勝者も敗者も、その勝ち負けに関係なく、合戦で命を失った戦士たち、即ち、戦死者の弔いをする塚を作って、勝者は戦争を終えていた。
しかし、この長篠の戦では、織田方の圧勝、武田軍の戦死者があまりにも多かったことから、織田軍は多くの死者を出した武田の兵の弔いをせず、自軍の兵の弔いだけをして帰還した。
これを見た長篠の人は、これをかわいそうに思い武田塚を作り、その後、現代となる今日まで、毎年7月に武田の戦死者を弔うお祭りを行い、大きな松明を以って、戦死者の霊を鎮める儀式をひっそりと、しかし、しっかりと続けてくれている。
またその儀式には、愛知県庁の方まで参列され、続けられているのである。」
と伺いました。
 武田ご本家もこうしたお話は比較的最近、お知りになられたご様子でしたが、私も愛知県と長いお付き合いをさせて戴いていて、こうしたお話を知りませんでした。
 私の先祖の霊も含めた武田 の戦死者の霊を愛知県、長篠の皆様たちに430年以上もの長い間、毎年、しっかりと弔って戴いている、こうしたことに対する感謝の気持ちを強く持ちました。
 そして、こうしたお話の中にまた、日本人の心の美しさ、優しさを改めて強く感じ、また、様々な意味で、先輩の方に大変良いご縁を戴いたと感謝しています。


ここまでです。
それで長篠の武田塚(実際には信玄塚と言われているようです。)を調べてみました。

http://www.zephyr.dti.ne.jp/~bushi/siseki/shingenzuka.htm

毎年8月15日に松明をかかげてのお祭りが行われているようですね。
武田信玄は当時すでに亡くなっていたのですが、信玄塚という名前をつけて、あえて信玄は死んだのだよと世間に知らせるという考えもあったのですね。

真田 幸光様は真田 幸村の兄 真田 信之氏の直系の末裔の方です。 

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