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2008/02/11

望洲楼寄席

昨日の日曜日 半田市亀崎の老舗旅館 望洲楼で行われた望洲楼寄席に行ってきました。知人のご婦人に誘われたものですが前日の雪も上がって快晴のなか盛況のうちに行われました。近郷の方々をはじめ東京や横浜からも来ておられました。総数130人ほどでかなりお断りしたそうです。問題は器が足りないということだったと聞いています。

この企画は半田市で行われている「はんだ郷土史研究会 」の主催によるものではじめての企画だそうです。望洲楼は150年前 ペルーが黒船に乗って日本へ来たころに出来た由緒ある料亭です。

望洲楼のエピソード


その1 明治31年9月に田山花袋柳田国男の両人が泊まられました。その数日前、渥美半島の伊良湖で椰子の実が漂着したのをみつけ、その話を柳田国男が信州の島崎藤村に伝えたことから有名な「椰子の実」の歌が生まれました。

その2 明治20年2月、天皇皇后両陛下が近隣の武豊での陸海軍の演習に行幸された際にお食事を担当しました。

その3 太平洋戦争中は近くにあった中島飛行機製作所の幹部や学徒動員兵の宿舎になっていました。学生は全国の高等学校から来ていたそうです。(今の国立大学)中島飛行機には最高で3万人もの従業員がいたそうです。最後には出来た飛行機を滑走路まで引っ張る動力も燃料もなくて牛で引っ張ったと聞きました。1000機もの飛行機を作ったのです。魚雷も作っていました。

寄席
1・たけちゃんとよしおくん
   常滑出身の素人漫才ですが中高年の方で親しみのある漫才でした。

2・大須くるみ
   皿回しと南京玉すだれ
   大須とついているだけに大須演芸場で育ったのでしょうか?
   地元 半田市乙川の生まれだとか

3・三遊亭とん馬師匠
   半田高校出身の落語家、ここ望洲楼の社長の2年後輩だそうです。テニス部だったそうです。94年に真打になっておられますね。落語の中に三味線も入れて面白いお話でした。最後にはかっぽれも踊ってサービス満点です。一緒に記念写真も撮らせていただきました。

   

寄席が終わったらそれぞれの部屋に分かれてお食事をいただきました。係りが少ないのできれいなお着物の女将さんとお嬢さんもお手伝いです。これだけの大勢にいっぺんに食事を出すのは大変なことですね。

望洲楼 店内見物
ご無理を言って亭内を見せていただきました。望洲楼は小高い丘にへばりつくように建っています。すべて1階建て(つまり床下が土についているから)とおっしゃってますが下から眺めると5階建てのようです。それだけに階段の連続で食事のお運びが大変だろうと思いました。そしたらなんとロープウエーのようなものがしつらえてあり料理を運んでいました。一番上には100畳じきの大広間があったそうですが今は壊れてそこは使われていません。落語をやった大広間の欄間には月の切り抜きが新月から満月そしてまた新月へと順番に作られています。柾目の一枚板にです。最上部の部屋は泊まれるようになっていて洗面トイレ風呂が作られています。昔にしては珍しいことだと思います。それから玄関横から地下へ入ったところにはコンクリート製の防空壕が今も残っているそうです。今回は残念ながら見れませんでしたが
望洲楼名物は何と言っても美人女将の存在がありますね。お嬢様もそっくりの美人ですよ

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はんだ郷土史研究会

 
今回主催の会で半田を中心に知多半島の歴史を研究する会合で大変興味深いことを毎月会報でお知らせいただいています。知多半島のエピソードをつずった「知多半島みやげ話」の小冊子をいただきました。毎月例会をされていますから参加するのもいいですね

「20071110.pdf」をダウンロード

余談
武豊線は大府から武豊までの単線ですがなんとこの線路は東海道線よりも早く開通しているのだそうです。理由は東海道線を作るためにその資材を武豊港から名古屋へ運ぶためにこの線を最初に作ったのだそうです。そのために大府あたりでは武豊線がまっすぐ走って東海道線がそれを避けるように曲がって走っています。今日降りた亀崎駅は現在残っている中では日本で一番古い駅だそうです。明治19年の建設です。お隣の半田駅にある跨線橋は現存で日本一古いものです。

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コメント

花水木さん
そうでしたか
確かに望洲楼という名前はここのお座敷から海が見渡せるからなんでしょうね
すぐ前の道路から先は海だったと言っていました。
伊勢湾台風以降先のほうまで埋め立てられて新しい道路も海岸に
できました。
また向こう岸の高浜でも海は埋め立てられています。

ここの座敷から眺める月見は最高だったようです。
大広間の欄間は一枚の柾目板でそこに月の模様がほってあるのです。
写真を追加します。

投稿: えーさん | 2008/02/14 09:19

10年ほど前に友人に誘われここで食事をしました。
一番上辺りに小さなロープーウェイのようなものありました。
お部屋の床もちょっと斜めになっているような気がしましたよ。

望洲楼と言う名前が付いているんですからきっと昔は海が見えたんでしょうねぇ。

それにしてもこんな素敵なところで落語会とは雰囲気ありますね。

投稿: 花水木 | 2008/02/12 09:29

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