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2008/01/13

名古屋城下町の話

知人の川田 きし江様からいつも送っていただく紀行文と絵があります。
この方は国内 海外いとわず旅行されてそこのスケッチ絵を描いておられるプロですが
いつもとても楽しませていただいています。
今回は名古屋城の北東方面の武家屋敷あたりを描いています。
あそこいらの地名には変わったものが多くて不思議に思っていましたがこれで納得できました。

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ただ絵を描くだけでなくその土地のことをよく調べられるものです。
尼ケ坂 という名鉄電車の駅がありいつも不思議に思っていました。
あっ 1月1日号となっていますね
年賀状だったのですね
川田 きし江様は日進市にお住まいの女性ですがあるとき名古屋中区役所で個展をされていました。ちょうどそこに作家の川田 きし江様がいらっしゃってお話しました。そしたら私がメロウ倶楽部の会員ということがわかりなんと会員さんのお知り合いということで話が弾みました。そしてご無理を言って書かれる都度こうしてメールをいただけるようになりました。
縁は異なものと申しますが  ありがたいことです

彼女はもう80カ国ほど回っておられまして世界にうとい私はこれで旅行した気分になっています。 ここにご了解をいただいてその原文を載せさせていただきます。

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<東海歴史散策 37> 2008年 1月 1日号

哀話の坂道、からたちの砦の坂道  (名古屋市東区)

 名古屋の町に遅い陽の光が射しそめ、淡い朝霧が薄紅色に染
まろうとしていた。だが、その森だけは濃い霧に包まれたまま、
綿毛のように煙続けていた。

 白壁旧武家屋敷街のすぐ北、名古屋台地が北に大きく落ち込
もうとする先端に建つ片山神社。その昔、名古屋の森の一つと
して有名であった蔵王の森の跡である。

 片山神社は文化年間(1804~17)ごろ、近くの町に権現小
町と呼ばれる美女が、白壁の武家屋敷の武士と恋仲になり、男
の子までなしながら身分の違いからそいとげることができずに
尼になったが、五月雨の降る夜、蔵王権現の西の坂で命を絶っ
た。男の子は雨の夜になると、坂道から坂道へ母を探して歩い
た。

 今も神社の境内に残る尼ケ坂、坊ケ坂はそれにちなんで名づ
けられた.

 尼ケ坂、坊ケ坂を西へ、名古屋城に向かうと、いつも清冽な
水の湧く泉があったという清水坂、かつての名城の秘境枳穀(
きこく)坂と、坂道が続く。

「枳穀」とは「カラタチ」のことで、坂の下は、名古屋城に万
一のことがあったとき、藩主が城を脱出して木曽路へ落ちてゆ
くときの非常口東矢来木戸のあったところでもある。

 東矢来木戸の中は、藩主を守って脱出する役の同心がいた御
土居下屋敷。家老成瀬の中屋敷もあり、藩の重臣以外は近づく
ことのできない秘境であった。

 坂の両側、外堀の上、成瀬中屋敷の坂道の両側にもからたち
がぎっしりと植えられ、坂道をふさげば逃れることができなか
った。藩祖義直以来の鉄壁の防御柵であった。
 枳穀坂から清水坂、尼ケ坂への台地の上の白壁、主税、橦木
町あたりに武家屋敷が並んでいた。

 昔はもっと急な坂道であったから、そのまま石垣、水をため
れば下は掘-------。江戸の世の世界が返ったような思いになって
きた。

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コメント

ずーさん

見せていただきました。
すごい力作ですね。
小説家なんですか?
また読ませていただきます。

投稿: えーさん | 2008/01/14 09:42

私も最近ブログ始めました。よろしくお願いします。

投稿: ずーさん | 2008/01/13 12:35

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