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2007/04/16

徳川美術館 館長の話

いよいよ名古屋城の 本丸御殿の再建 がスケジュールにのぼってきましたね。
私も名古屋城本丸御殿の再建にちょこっとばかり寄付をしている一会員なんです。
1月に恒例の 本丸御殿フォーラム がありましてその会場で徳川美術館館長の徳川義崇氏の話がありました。その中で徳川氏と 徳川美術館 の関係で面白い話をされましたのでご紹介させていただきます。

・徳川義崇氏は尾張徳川家の第22代目の当主です。

・徳川美術館は徳川義崇氏の曾祖父の 徳川 義親氏 が作ったものです。
  徳川 義親氏は明治19年に越前 松平春嶽の第14子5男として生まれました。
  この徳川 義親氏は明治41年に尾張徳川家第18代徳川義禮のところへ養子縁組で入り明治42年に義禮の長女の米子と結婚されました。

・徳川 義親氏のやったこと
  北海道の八雲町の開拓に力を入れた
    八雲町では熊狩りを楽しんだ
  マレーに転地療養をしに行った ここで虎狩りをした
  マレーからヨーロッパへ旅行して帰ってきたがスイスで熊の木彫りをお土産に買ってきた。それを北海道の人農民に見せて冬にこれを作ってはどうかと勧めた。現在北海道のどこでも作られている熊の木彫りの始めです。
  昭和6年に財団法人尾張徳川黎明会を作り徳川美術館の建設に取り掛かった。
  昭和10年 徳川美術館が完成した。

・徳川美術館の歴史
  1935年 完成
  2005年 開館70周年
  戦前は潤沢な資金があったがその殆どが満鉄の有価証券だったため戦後はすべて紙くずとなってしまった。 空襲で窓ガラスはすべて割れた
昭和40年代にやっと復旧できた。
昭和62年に新館がオープン
2005年に愛・地球博にあわせて庭園の改修をして現在に至っている。

・徳川美術館の特長
現在残っているものがすべて由緒のはっきりしたものばかりということです。

  例として
   千利休 の作った茶杓
     秀吉に切腹を命ぜられたときその前に竹で作ったもの
     それを 古田織部 に受け継がれて織部がその入れ物を作った。この入れ物には窓が開いており入れ物に入れてもきちんと中の茶杓が見えるようになっています。
織部はこの茶杓を千利休の位牌がわりに毎日拝んでいたそうです。

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コメント

ちやすさん
こんばんは
なんという宿題ですか
まだ勉強なさっているのですね
えらいです
楽しんでやってくださいね

投稿: えーさん | 2007/04/17 22:15

秀吉と利休と上田宗箇
・・・という分厚い本(辞書?)を
「読みなさい」と宿題にされてるとこです。

 歴史を紐解き
 今に繋ごうと
 奮闘中ですが・・・眠い。

投稿: ちやす | 2007/04/17 15:47

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