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2006/03/22

文化のみち 二葉館 見学

先日あるシニアの勉強会 NPO こんぺいとう倶楽部 で文化のみち 二葉館を見学しそこの複館長も西尾さんからお話を伺いました

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左の写真は誰かが当時描いた川上貞奴邸の遠景です。高台の上に聳えているのがわかります。 真ん中は西尾さんです。右の照明のセードには川上貞奴のデザインのマークが入っています。珍しいものですね

西尾さんはここ白壁から撞木町あたりをずーっと研究されて最近    「撞木町界隈」という本を出されています。 名古屋を知る上でとてもいい本だと思います。

「撞木町界隈」

   西尾 典祐著
     健友館
     1500円   文化のみち 二葉館に置いてあります

 

・二葉館  の名前
   二葉町に出来たから
   二葉は松の葉のこと  二つ 仲がいい  常緑であることから

・文化の道  白壁町 撞木町 
   武家屋敷  ちょうど残った

・名古屋と熱田は別の町だったが明治30年に一緒になった

・名古屋城   徳川 家康はここで豊臣と戦争をしようと考えた。大阪はとても攻められないここへ豊臣を誘い込んで戦おうと考えた。豊臣の大名に城を作らせた  加藤清正 福島正則などに1608年から1615年5月8日まで 豊臣がたが内部分裂してつぶれた。名古屋で戦争をする必要がなくなったので城の工事が終わってしまった。急に仕事がなくなり失業者があふれたので堀川の工事を始めた
   名古屋城から南は町人の町  道路は碁盤の目
      北は武士の町     道路は入り組んでいる
                 撞木とは行き止まりのこと

      東西の道しかなかった
        南北の道は比較的新しい

      清州越し  7-8万人が移ってきた
        何もかも持ってきた

 ・明治維新  明治政府  名古屋は徳川の直系なのでにくい。政治的に排除されたので名古屋としてはものづくりに走った
 ・白壁あたりの武家屋敷
      実業家が集まってきて屋敷を作った。一軒あたり広かったので都合がよかった
          盛田家(酒屋 シキシマパン ソニー )
          豊田家(トヨタグループ)
          森村家(日本碍子 日本陶器 )
          春田 (陶磁器)
          井元 (陶磁器)

      教会
      女学校 (金城学院)
           民本主義 男女同権  市川ふさえ

 ・二葉邸
      大正9年  福沢 桃介が作って川上貞奴にあげた
      従って川上貞奴邸ということになっている。ガケの上に建っていた 見上げるような家。5700坪の敷地 当時自動車があった
自動車を持つとガソリンスタンドもいるし馬も飼っていた 自動車はよく故障するので。福沢 桃介は日露戦争のときに株で300万儲けた
八幡製鉄の資本金と同じ金  株は博打だから実業がしたかった
大学の先輩 矢田氏(三井銀行名古屋支店長)が名古屋電灯の監査役をしていた。会社の資料を全部持ち出してそれを調べた。福沢 桃介にここを乗っ取れと言った。今のホリエモンよりも悪だったかも

 ・川上音二郎川上貞奴 
川上音二郎は九州の生まれだが母親が早くに死んで後妻とうまくいかない。家出して東京へやってきた。勝手にお寺に住み着いていたがあるとき朝の散歩に来た紳士に出会った。その人が福沢諭吉だった。慶応義塾大学の雑用に雇ってもらったが学校の物を盗んで追放されてしまった。 それからあちこちで政治的な演説をして回った。
明治15年には名古屋大須へ来て演説している。あちこちで警察に捕まった京都で半年留置所に入れられてさすがに応えたそれからはある人を攻撃するよりもその敵を褒めることにしたそして風刺や笑いにしてしまうことを覚えた
         へらへら節
         オッペケペー節

後に川上貞奴と結婚した。川上貞奴は伊藤博文の妾だったがすぐに飽きられたので川上音二郎と結婚させられたのだ川上音二郎は選挙に立候補するが人気があるが票が入らない。なぜなら選挙権がない人ばかりが聞きにくるからだ。借金で首が回らなくなり外国へ逃げたこの時伊藤博文の部下が世話をする。アメリカで芝居をしようということになって女形を使おうとしたらそんな気持ち悪いものはダメだと言われた。しかたなく川上貞奴を女優として起用した。これが日本最初の女優の誕生となった。それがあたって流行ったが一座の御金をすべて持ち逃げされた。食べるものがなくて空腹のまま川上貞奴は舞台の上で倒れてしまった。その演技が真にせまっていると大評判になる。
         川上貞奴   芸者 踊り
         川上音二郎  腹きり 
           このパターンで売れた

その後イギリスからパリへ渡り パリ万博で大好評を博した。フランス大統領から表彰された。そのとき日本での賞罰を尋ねられたが川上音二郎は賞罰なしとして登録したあれだけ警察に捕まっているのに、当時は日本は遠かった。パリで川上貞奴はロダンからモデルになってくれと頼まれたがロダンを知らなかったので断ってしまった。ロダンはどうしても日本女性をモデルにしたかったので岐阜から来ていた花子さんをモデルにした。外国で稼いで日本に帰ってきてから大阪帝国座を作ったが倒産してしまった。そして47歳で病気で死んでしまった。

生活に困っているのを見かねて川上貞奴のために福沢 桃介は女優学校を作ってやった。それから名古屋に川上貞奴邸を作って一緒に住むようになった。川上貞奴は川上音二郎と一緒にいるあいだは女と金で苦労ばかりだったが福沢 桃介と一緒になって楽な生活が出来るようになった
       
電力の鬼  松永 安左エ門 と福沢 桃介
       松永 安左エ門は慶応義塾大学の後輩だった
       福沢 桃介は結核になってしまったので寝ていて稼ぐには株しかないと思い株をやった。
一緒にいろいろな会社を作って仕事をしたがかなりやばいこともした
情報操作で株のインサイダー取引をした
そのうちにばれそうになったが逃げた
全国の電力を二人で取り仕切った。昭和10年頃になって政府はこれはやばいと思うようになり政府は電力を国有にしようという動きになった。福沢 桃介が死んでから国有になったが松永 安左エ門はしぶとく戦後の9電力分割を取り仕切りその後電力の鬼 と言われた。

貞照寺
川上貞奴は福沢 桃介が東京へ帰ってから鵜沼に貞照寺を作ってそこに住んだ

          
      

      
     

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